2009年9月5日土曜日

ハエの話? その二

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 その時は一度目だから、刺されても死なない事は分かっているが、怖くて動けない。刺されるのは痛いし怖いし嫌だもん。
 豪胆なSはさっさと行く。仕方無く臆病な私とKも、首を竦めてSに続き通過する。Sがいなければ、私とKは、日が暮れる迄佇んでいたかも知れない。
 新緑の頃だったからだろう。仏果山々頂は満員状態で、頂を外して小さな隙間を見つけ、弁当にした。身勝手なもので、こうなるとあの誰もいない藪山時代が懐かしい。と能天気に言えるのはあの痛さを忘れたからで、喉元過ぎれば痛さ忘れる、だったっけ?
 弁当といえばSは何時も奥さんの手作り弁当で、それもとても豪華なのだ。喜んでご相伴にあずかっているが、私もKは大体がコンビニのサンドィッチだ。愛され方の違いは、如実に弁当に表れるものなのだと、学んだ私とKなのである。
 ん、そういえばKもたまに愛妻弁当の事がある。「いや、女房が作ってくれてさ」とか、変にニヤついている事も結構あったぞ。うーん、するってえと一体、私の立場はどうなってしまうんだ……。
 別の時、仏果山々頂に立ったが、暑い時期で、手で払うとばちばち当たる程ハエがいて、閉口して逃げた事がある(もっとも閉口しないと、ハエが口にも入る)人が増えるとハエも増えるのかな?多分そうでしょう。現にそうだったし。
 ハエの思い出がもう一つ。零細山岳会で武甲山に登った。随分前から入山禁止になっていて、ひたすらセメントを掘りまっくっているので(セメントの山なのだ)、やがて丘になってしまうのだろう。とても立派な姿の山だったのだが。日本二百名山は、百九十九名山になってしまう訳である。百九十九名山は良いが、武甲丘になるのが、やけに悲しい。
 話を戻します。この時は余裕のある先発組は、前夜秩父に入って泊まった。余裕の無い私と数人の仲間は、夜行列車で追いかけ、朝合流して登り始めた。昨夜ゆっくり寝た先発組は楽しげである。追いついた我々はげっそりとして、生あくびをしている。えらいハンデである。
E「夕べは楽しかったわねえ」
H「本当よね」
S「良い宿だったぞ」
私「ああ、そうかい」
T「たまには、こういうのも良いなあ」
私「ふん、良かったな」
W「お風呂が良かったの!」
K「おう、本当だぞ」
I「それはお目出度さん!」
 お分かりの通り、Iと私は余裕のない後発組なのだ。楽しそうな先発組の話を聞いて、すっかり捻くれてしまう。でも私達を責められません!(身勝手ですなあ)
 (ハエの話? その三へ続く)

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