2023年2月1日水曜日

閑話番外 その百四十


  先月半ば過ぎに高取山へ登った。高取の話じゃないのでご安心を。その時出会ったあたしと同年代の夫婦の話です。

 コースも終了間近、吾妻山を下っているとその夫婦が立ち止まっている。ん、何だ? 夫が声を賭けて来た。「弘法山は真っすぐで良いんですか?」「この上が吾妻山でその儘真っすぐです」「遠いですか?」「駅から吾妻山の倍位でしょうか」「え、倍」。

 奥さんはもう歩けないと言う感じだ。多分簡単な散歩のつもりだったのだろう。確かに散歩コースだが一応山道だ、里山にしてもだ。夫が「吾妻山から富士山は見えますか」「見えません、権現山へ行かないとダメです」。冷たい答えだが真実なのだ。下りだすと背中に「有難うございます」と声が掛かった。気の毒だったが、多分吾妻山から引き返すだろう。

 山(山のうちには入らないけど)は初めてだったのだろう。富士山が見える簡単なコースってなパンフでも見て来たと想像できる。大した登りじゃないが、想定外に続く登りに戸惑っていたに違いない。その上、尚も倍も歩くと聞けば驚きもする。

 さて、あたしは今同じ様な感覚を塔に対して抱いている。道程を聞いて驚きはしない、それはほとんど分かっている。そこを登りきる自信がないのだ。本に情けないですなあ。でも、喘息になって気道が60%一寸としか機能しないのだから、はーはーぜーぜーの連続で苦しい事この上なしになるのが見えてる。それでもやっだよ!との気持ちになれない。

 令和四年迄は自分を未だ登山者だと思っていた。令和五年からはハイカーだと思う事にしよう。たまに上越やアルプスにも行くハイカー。うん、これが現実に合った姿だ。

 「丹沢と共に」の主題は、大好きな丹沢を大好きだと言う事だ。その丹沢を思うが儘に歩けないのは辛いが、まあ、騙し騙しぼちぼちと参る所存であります。

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