2015年2月14日土曜日

休題 その百四十二




 随分前に、織田信長は極めて運のいい男だと書いた。武田信玄が(説は分かれるが)京
へ向かう途中で死亡し、上杉謙信が京を目指す大動員を掛けた時に死亡したからだ。
 武田信玄が天下を取れなかったのは、どう見ても上杉謙信が居たからだろう(勿論外の
見方も有るのだが)。
 信濃を手に入れるにも、西上野を手に入れるにも、常に上杉軍と戦うか、睨み合わねば
ならなかった。相手が凡将なら何とかなるだろうが、毘沙門天の生まれ変わりと自認して
居る戦いの天才で有る。
 両軍が本格的に衝突したのが、川中島の戦だが、双方ともに余りの損害の大きさに慄然
とした様だ。其れ以降はまともに戦う事を、双方で極力回避して居るかに見える。
 強兵どうしの戦いは、双方が引く事がないので損害が深くなる。武田と上杉の戦いが其
の好例だと言う事だ。
西上軍を起こそうにも、上杉軍を何処かに釘づけにしなければ動けない。信玄が留守と
分かれば、一気に国府中迄蹂躙されて仕舞う。西上軍は帰る地を失う訳だ。
 勿論、信玄が健康でも信長に勝てたと言う確証はない。あたしが様な信玄フアンは贔屓
目に見るので、武田の勝ちと見えるが、実際は分からない、が正解だろう。
 では謙信公は? こっちはこっちで又難しい。謙信は大動員を掛けたらしい。越後、上
野、越中、能登、加賀で四万強だろうか。上杉軍としては大軍で有る。
 併し、信長は其の頃包囲網を破って、機内で敵対するのは雑賀党のみでストレスが無い
から、相当の軍勢を対上杉に充当出来た。土木工事が得意な信長だから、近江に大防衛線
を構築しただろう。
 上杉軍も四万では素早くは動けない。謙信は八千の兵を率いて機動するのが常だった。
従って、信長に迎撃態勢を整える時間は、与えざるを得なかった筈だ。
 すると此れ又、勝敗は不明で有る、と言うしか無い。それでもですよ、信長は常に勝つ
戦を(除く桶狭間)した男だから、どうなるか分からない大戦(おおいくさ)を、二つし
ないで済んだのは、極めて運が良いと言って然るべきでしょう。

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