2014年4月19日土曜日

割とマイナー その三





 でもどうなんだろうか。私は(多分多くの人々も)労せずして三千峰(直前)に立てるのは凄く有難いのだが、自然を破壊するのではないだろうか。「聖職の碑」の取材ノートにすら(昭和五十年現在)自然破壊を危惧する言葉が綴られて居る。じゃあ今は? 余りに怖いので次に行きます。
 面倒な話は「面倒な話」に任せて、宝剣岳から南下しよう。其れを南陵と称する。冬に(三十年前ですよ)並べられた遭難者の写真の舞台だ。確かに鞍部の極楽平迄は鎖場の連続だ。じゃあ、一体何処が極楽平なんだよ!
 まあ、ヤバい処を越えて来たので、極楽平なのでしょう。無雪季なら何でも無い、唯の鎖場なんだけどね。雪が付いて凍ると、確かに危険を感じるんです。で、危険な個所を越えて極楽平なのでしょう。其処で雲海に照らされ乍らゆっくりとコーヒーを飲んで居たら、妻が狸の様に黒くなったのは、前述です。
 極楽平から一時間半も南に向かうと檜尾岳(2727.2m)だ。地図を見れば分かるのにわざわざ書くのは、此の山の遭難事件が頭の何処かに有ったからだ。詳細は忘れた。調べる気は無い(じゃあ書くな、馬鹿!!)。
 更に南下すると、木曽殿越に着く。此の小屋での不快な思い出は忘れた。(とか言い乍ら書いてるのは忘れてないからだろう、無粋なやっちゃなあ!へい、すんまへん)
 木曽殿越と言うからには、木曽の殿様が越えたのだろう。伊那から入ったか伊那に抜けたか、いずれにせよ楽では無い。木曽は信長に付いて武田を裏切ったのだから、幕末迄残ったと思いきや、家康の命で上総に国替えになってから後に改易、滅び去った。
 武田が亡びたのは木曽の裏切りを発端とする。尤も、そうなる限りは武田はもう滅びかけて居たんだろうけどね。其の状況を木曽氏は察知したのだろう。
 (割とマイナー その四へ続く)

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