2014年1月14日火曜日

閑話 その百十六





 零細山岳会で奥秩父縦走をして、あたしのドジの所為で泥棒に落ちぶれた話は、何度かした。此の時は合流登山だった。途中でB班、C班と加わって来るのだ。段々メンバーが揃って来る、楽しい山旅で有る。
 集中登山も有る。我々の場合は三パーティが、夫々のルートを辿って一か所に集まるのだ。此れも楽しい山旅だ。
 普通は塔ヶ岳だろうが、近すぎる為に龍ヶ馬場を集合地にした。主脈の班、鍋割の班、長尾尾根の班、だっかかな?遥か昔で忘れてもうただよ。どの班も一泊してやって来る。
 合流すると十二人のパーティになって、下るのだ。塔で良かったのだ。変に設定したので時間を読み違え、秋だったので下って居るうちに日が暮れた。はっはっは、其れは其れで侘しくて宜しい。
 四十数年も前のこった、日が暮れても何でも無い。今なら、結構困る。登りなら良いが、下りで暗いとさぞかし苦労するだろう。下りは明るくても苦労するのだから。
 解散登山は聞いた事が無い。詰まり、段々仲間が下山して減って行く登山方だ。有るかも知れないが、誰もやりたくは無い筈だ。
 山中で山仲間と会う(合流でも集中でも)のは、べら棒に嬉しい。見慣れた顔なのだが、とても貴重に見えて、双方共、歓声を挙げて駆け寄るのだ。若さ故、とは思えない。今やってもそうだろう。尤も、駆け寄るのは不可能でヨロヨロとするのだろうけどね。
 山仲間は、世俗な仲間と一寸と異なる処が有る。飲み仲間や仕事仲間や趣味仲間や遊び仲間とは、何か違う。何だろう?
 共に苦労する程度の違いだろうか。仕事仲間でも、(経験は無いが)とことん苦労した仲間なら、似た感覚になるかも知れない。
 たとえば、やけに苦労して映画を撮ったチームとか、人工衛星の開発に夜も寝ないで苦労した仲間とか、何日ものヨットレースを戦った仲間とか。
 ヨットレースは山仲間と同じだった、失礼。
 そう言うこってす。共に苦労するってえのは、深い絆が生まれるのだ。中々そう言う関係を持つのは難しいのが、世の中だろう。
 山の魅力の一つは、其れかも知れないのですなあ。

2 件のコメント:

DOGLOVER AKIKO さんのコメント...

山仲間は特別でしょう。思わず合流して互いに駆け寄る、、、て、気持ちがよくわかります。山は清潔、においもないし、さらりと綺麗で神聖で、貴族的で、知性的で、うんと特別なところですから、山で経験を共有した仲間は特別の特別です。山であった人はみんな素敵な良い人、、、下界の人はみんな俗人!

kenzaburou さんのコメント...

全く同感です。
外では得難い仲間です。