前章で、昔の乗り物の話をした。じゃあ、宿の話もしょう、って章です。しょうもない?当然でしょう!
駄洒落は放って置こう、親父の悪い癖だ。宿ったって、温泉宿では無く山の宿だから、山小屋ですなあ。山小屋の灯は ほのかに点りーて~♪ とは遥か昔の物語。
そりゃあ昔はどの宿(以降此の章では、山小屋を宿とする)もランプだったので、ほのかに点った。あ、点るは、ともるです。分かってるって? 御免なさい。何せ、映画の字幕が読めない人間が増えたので、吹き替えの上映が増えたってご時世なんで。
尤も、そんな輩は此処には来っこないので、余計な事でした。あのお、輩は、やからです。此れも余計なこってすね、重ね重ね失礼!
前述だろうけど、夜の大倉尾根を登って居て、ポツンと灯りが見えた時の嬉しさは、説明が難しい。そうねえ、長崎から飛行機に乗って居て、伊豆大島の上空を通過した気分?
一寸と違う。いや、全然違う。樹海で首を吊り損なって、道路の車の灯りを見た感じ? 論外だ! 偉くたとえが悪くて済みません。
私の若い頃は、丹沢のどの宿もランプだった。勿論、奥秩父も南北中央アルプスも上越も会津も御在所も白山も東北も八ヶ岳も、其の外でも、其れこそ何処もかしこもなんだよ!
大倉尾根に戻れば、宿の灯りが見えるのは凄く嬉しい。でもね、ランプとは言え、外に灯りは無いのだから、遠くから見えるのだ。逆に見れば、其処はうんと遠いのだ(涙)。
ほのかな灯りが見えてからが、勝負だ。其の灯りを頼りにひたすら登る。着けばお茶が待って居る。でも、其の希望の光源は、貧弱な油ランプ。凄いですなあ、あの弱弱しい光が、遠くから見えるのだから。
今ではランプの宿は、丹沢では二、三だろう。三、四かな、どっちにしてもそんなとこだ。北アルプスは、九十パーセント電気だと思う(多分、或いはもっと低いかも)。
(登山者詰め込み その二へ続く)
3 件のコメント:
尾根を登っていて、やっと山小屋の灯りが見えたら、本当に嬉しいでしょうね。重い足どりも軽くなりますね。小屋のぼーっと明るいランプはロマンチックで素敵ですが、泊まった夜、トイレのドアを閉めると、中は文字通りの真っ暗、、、穴に落ちそうになって大汗をかいたことがあります。あれは怖かったです。
映画の字幕が読めないなんて!!!レオナルドデカプリオやハルベリーが日本語をしゃべっている映画、、、あんまり見たくないです。
はっはっは、それは怖かったことでしょう!
小屋でトイレに行く時は、昔は懐中電灯持参と困ってました。
かと言ってドアを開ける訳にもいかないし、はっはっは、失礼!
本当に字幕が読めないようです。従って漢字を開いてかなを多用しています。翻訳者も苦労でしょう。
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