2011年4月6日水曜日

閑話 その六十七

 山を趣味(?)にして良かったと思う事は結構多い。他のあらゆる趣味とも勝負可能だと思われる。

 その1 汚いがどうした、と考えられる。
 丸で人間的欠陥が生じるかの如く思えるだろうが、違う。清潔が命ってな、いびつになっちまった人間には決してならないって事。
 人に限らず、生き物が生きて居る限り、清
潔と言う概念は有っても、清潔は無いのでは?あたしゃあ素人だから平気で言うのだが、無菌状態を清潔の極地と定義するならば、清潔になったら人類は死滅するのでは?
 菌に出会った時に抵抗力が無いと言う訳も
有るだろうけど、あたしは、雑菌と共存して居るんじゃ無いかと、思って居る。根拠は無いが、思うのは勝手だ。
 回虫類を殲滅したら、アトピーが発生した。
正式な医学的発表では無いが、良く聞く話だ。
 空気を綺麗にしたら、花粉症の患者だらけ。
昔は花粉症なんて無かった。今でも山仕事の人間には花粉症なぞ無い。勿論登山者にも。
 従ってあたしは無根拠に、人間(生物)は
雑菌と共生して居て、パートナーの菌を失ったら生存出来ない、と考えて居る。
 だから汚いのは気にならない。山歩きをし
て居ると、嫌でも汚くなっちまう。汗はポタポタかき放題、更に着たまま、おまけに何日も風呂とは無縁だ。
 お陰で、全うな神経を持つ事が出来たのだ。

 その2 歩かなければ絶対着かないと知る。
 当たり前ですよね。ずーと其処に居るだけ
になるんだから。やがて食料も無くなり、待つのは死のみ。
 歩く、何が何でも歩く。藪が邪魔しようが、
崖が遮ろうが、ガレが続こうが、歩かなければならない、と思い知るのは山登りのお陰なのだ。
 リタイアは無い世界なのだ。とか言って、
実際はリタイア可能なのだ。其れを遭難と呼ぶ。運が良ければ救出されるので、歩かないで済む。運が悪ければ遺体を搬送されるので、歩かないで済む。
 不謹慎だって?確かに。

 此れは結構重大な事なのだ。ルート完遂を
諦めて、前途を放棄しても、下山する為には歩かなければならない。もうやーめた!との択は無い。
 丸っきり人生其のもので有る。人生ではも
うやーめた!は有るけど、自殺か自棄の結果の犯罪だろう。其の観点に立てば、山でも、もうやーめた!は成立する。結果は同じく、碌な事にはならないだろうけど。

 その3 手間を省く名人になる。
 余分な手間は敵なのだ。

 如何に手間を掛けずに目的を達するかが、
とても大事なの。たとえば朝、手間隙掛けて朝飯なぞ造って居たら、日が昇っちまって大慌て、ってなアホな事になる。
 続きは又今度。

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