2023年6月22日木曜日

クソ面倒な話 その九十九


  前章の続き、飯山陽氏の指摘する次の問題。

 LGBTを認めない。コーランで禁じられているので、同性愛に死刑(!)を科す国が九ヵ国ある。犯罪と規定している国は約七十ヵ国、LGBT推進の諸君、どうしますかね。イランに後込んで主張されては如何かな?

 〇女性の価値は男性の半分。これもコーランに明記されている。従って妻は夫に絶対に服従しなければならず、従わない妻はこれを殴れ、あ、コーランのっ言葉ですよ、あたしじゃないですからね。フェミニストの皆さん、聞き捨てならんのじゃないですか?

 あと七つあるがこんなとこで宜しかろう。価値観が日本を含む自由主義諸国とは異なるのだ。「平和」の意味もイスラム教では「全世界がイスラム教に帰依した状態を指す言葉だ。話せば分かる話ではない。絶対的真理に異を唱えても、絶対に聞き入れられない。コーランは神の言葉なのだから。

 飯山氏はイスラム教を攻撃しているのではない。正確にイスラム教を理解しようとしている。矛先は日本のイスラム学会に向いている。反体制的でイスラム好きでイスラム擁護派、さもなければポストや予算は認められない。学問の自由言論の自由は封殺されており、為に日本のイスラム研究は不毛だと嘆く。

 そればかりではない、イスラム研究主流派からは”差別主義者””この女は研究者としての資質がない””無教養丸出し”等々のレッテル貼りをされ、論旨については言及される事はなくひたすら人格攻撃をされる。このやり方は、理に悖る者の常套手段である。

 敢えて近代文明諸国と言うが、それらの国とイスラム教とは全く異なる価値観をゆうしている。善悪ではなく事実である。これらの価値観を大多数のイスラム教徒が認めているのも事実なのだ。

 異なる存在イスラム教、どう付き合って行くべきかを、飯山氏は模索しているのです。

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