2023年1月23日月曜日

閑話 その三百九十四


  人を食う山、東の谷川岳西の丹沢と言われていた。あたしの若い頃なので二十年程前かなあ。冗談です、半世紀前の事、遭難話なのに不謹慎で済みません(ペコリ)。

 谷川岳はギネス認定も受けている世界一遭難死者の多い山である。調査を始めた1931年から2012年迄の遭難死者805名である。凄い数だが、殆どが一ノ倉沢、マチガ沢等の岩壁で起きている事故だろう。

 西の丹沢はカウントされない死者が多いので、東の谷川岳と並び称されていた訳だ。こちらは沢登りでの事故が中心だが、表丹沢だと里が近いので仲間が担ぎ下ろし、帰宅してから亡くなっても遭難死に数えないのだ。これについては前に書いたと思う。

 谷川岳の岩場は剣岳、穂高と並んで三大岩場と称されているが、他の二つはそんなに多くの死者を出していない。これは谷川岳が首都圏に近いからなのだ。夜行日帰りで岩登りができるから、日曜しか休みのなかった時代に、冒険好きの若者が押し掛けた。その結果の悲しい記録である。

 谷川岳は上越国境線だ。従って天候の変化に極めて敏感である。太平洋側が悪ければ谷川岳も悪いし、日本海側が悪ければ谷川岳も悪い。稜線を行く人も天気の急変に見舞われて随分事故を起こした。為に白髪門から仙ノ倉迄幾つも避難小屋が造られた。積雪期には雪に埋もれてしまうのだが。

 あたしも秋に天気急変に会って、仙ノ倉通過は強風で半分這う様だった。砂が飛んで来て顔に当たるので痛い事痛い事、目も開けられなかった。思えば無雪期に谷川連峰に入ったのは、あの一回のみでした。稜線の草が色付いて鮮やかだったのを覚えていますなあ。

 最近は装備が一新したので、岩壁でも稜線でも事故は激減した。昔の装備は本当に貧弱だったのだ。装備の変化は登山者も変化させるのは当然の流れ。山を怖がらない登山者が主流になった。良い事なんだろうが、あたしが様な古い人間には「大丈夫けえ」と不安になるのです。歳ですなあ。

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