2022年10月21日金曜日

休題 その四百四十五

 

 

 ネットフリックスの「進撃の巨人」の再度見直しを終えた。ファイナルシーズンだが最終話には至っていない。一回では全く訳が分かってなかったんだな、と分かった。一応歳の所為にしておくのが無難でしょうw

 作者の諌山氏を天才だと評価する人が多いが、あたしもそう思う。彼は全部を把握して、情報は小出しにする。見てる方(ほう)は今のは何だ? と訳が分からん。大分経ってから、ああ、そうだったんだ!となるのだ。

 伏線を回収するとフアンは言う様だ。並みのミステリーとは桁違いに伏線が多いので、伏線と呼んで良いのけえ、と思ってしまう。終わり方は勿論、登場人物から社会背景、諸々の設定(物凄く沢山あって、且つ複雑難解なのだ)が全て出来上がってんですなあ。当たり前だろうって? あたしは違うの。はいはい、一緒にすんなって事ですなあ。

 伏線がどうのはどうでも良い。設定が天才的なのだ。ネタバレになるので書かないが、人の在り方から社会、国の在り方迄踏み込まさせられる。従って見てると疲れる。

 長い作品だし深く抉るものだから、決め台詞が途轍もなく多い。おー決まった、と思わせるものが殆どだが、ベタなのでベタベタになる。非難しているのではない。台詞も良くできていると言っているのだ。

 多分作者だけが納得している設定も幾つかある。そこはそんなもんだと思っておいた。詰まんない突っ込みを入れるには、作品が余りに壮大なのだ。敬意を表しても表し切れない程だ。既述だが二十三歳の若者の作品ですぞ、どうしても”天才”の文字が浮かんで来る。そう言えば、芥川龍之介も二十三歳でデビューしたっけ。

 作者は「読者を傷つけたい」と言ってたそうだが、その目論見は明らかに成功している。読者を傷つけてどうすんだ、とは思うが、その気持ちは何となく分かります。

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