2022年3月12日土曜日

柄でも無い事 その八十二

 


 
 
 
 
 去年ヤフオクで買った黄瀬戸のぐい飲みが何か気に入らなくて、正月に出品されたぐい飲みを競り落とした話はした。箱根駅伝を観戦して酔っぱらっていたので、傷物と知りつつ絡んで来る奴を引き離す為に1万円の値をつけたのだ。傷がなければ妥当な金額だ。 念の為二つの写真を載せる。上が最初の物。小料理屋で使いそうで、黄瀬戸の釉薬を掛けて焼きましたって感じ。下が傷物だが、黄瀬戸を造るぞ、って気合を感じられる品物だ。食器棚に並んで置いてあるのだが、肌合いが驚く程に違う。

 一寸と気恥ずかしくはあるのだが、その傷物が目に入ると心が和むのだ。色合いと言い肌合いと言い、本物の良さが嬉しいのだ。小料理屋物だって本物なのだが、本当の本物ではない。お前に分かるのか?と聞かれりゃ、その位は分かると答えましょう。見りゃ分かるんだからさ。

 そこが焼き物の良い処で、良い物は良いのだ。見るだけで幸せって、如何にもあたしの柄じゃあないのだが、あちこちの産地・窯元を回った結果なんで、ここはひとつご勘弁くだせえよ。

 そうなると傷は目に入らなくなる。良くしたもので、人間は視覚にも修正を加えて生きていると良く分かる。鏡で見る己の姿と、ガラス戸に映る己の姿に大きな差を感じるのはあたし一人ではない筈だ。ガラス戸に映る己の姿は、どこの爺さんかと驚くもんねえ。正常化バイアスの発動かな?

 絵にも花にも飾りにも車にも住まいにもおしゃれにも無関心なあたしだが、焼き物だけは目を楽しませてくれる。人生色々、好みも色々、好きなものがあるのは決して悪い事ではなかろうて。

 酔っぱらって入札し、閉まったやっちまったぜと思ったもんだが、やっちまって良かったんだと思っているのです。

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