2018年9月30日日曜日

山の報告です その七十二



 下り気味の稜線歩きは気持ちが良い。振り返ると、宝剣、中岳、木曽駒が並んで、大分遠くなっているのが見える。其の写真は下のです。空は真っ青だが、伊那谷の雲海が盛り上がりを見せつつある。矢張り好天は昼迄なのだろう。



 単独の若者と擦れ違う。木曽駒ピストンだそうだ、凄い! 彼もやっと晴れたと喜んでいた。あたしだってあの年頃ならピストンはチョロイぜ、なぞと思っても、現実の姿はザックを背にノロノロ行くおっさんですなあ。
 遭難碑が現れた。大小二つある。大きい方の字がかすれて来ているので小さい方が建てられた様だ。同文だが、小さい方には建てた団体名が記入されている。


 大正二年の箕輪高等小学校(現在の箕輪中学校)の十一人遭難の碑である。この遭難については既述。新田次郎氏の「聖職の碑」に詳しいので興味の有る方はご一読下さい。
 遭難碑に礼をして行くと、将棋頭のピークへ行く路が分かれる。真っ直ぐ行くと西駒山荘だ。こんなに天気が良いのにピークを踏まないなんてバカをやる筈ないでしょう。
 一登りで最後のピーク、将棋頭山にご到着。単独の男性がいて、テント場(詰まりあたしと同じ)から来て、これから戻ってロープで下山だと言う。最初はあたしも其れで計画していたのだが、遭難した子供達のルートを辿って見ようと、今回の計画に変えたのだ。
 単独の男性が去ると、入れ替わりに関西弁に近い言葉の、賑やかな五十代女性が三人登って来た。徳島か三重のあたりだろう。
 丁度ガスが上がって来て、木曽駒が隠れた。「今迄見えてたんですよ」と言うと「分岐では良く見えました」と言う。外の山々は未だ見渡せる。三人は賑やかに話していたが「××さんが待ってるで」と下って行った。入れ違いに単独の若者がやって来た。
 流石に核心部の北端将棋頭山である。人がどんどんやって来る。(続)

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