2018年9月16日日曜日

休題 その二百二十八



 デジャブ(既視感)はここ二十年程もないのではなかろうか。あれ、この会話(或いは状況)、夢で見たぞ、と感じるあれである。
 脳の働きが鋭敏過ぎて、事象を海馬から記憶部分に移するのが認識するより早くなった場合に起きるらしい。だもんで間違い無く記憶にある事を経験する事になる訳だ。
 ここ二十年、鋭敏過ぎる脳の働きなんざ無くなったって話です。それどころか、海馬から記憶部分に移動する間に何処かへ消えちまうのだ。記憶部分だって、ガタがきて思うものを引き出せないのだ。ほら、あいつがさあ、ほれ、あれを持ってね、となるのだ。
 春になると盛りが付くのもなくなった。前述だが、何かしなければとの衝動に襲われる事を、盛りが付くと称していたのだ。ここ四十数年、そんな焦燥感とは全く無縁になってしまった。春ですなあ、とノンビリしている。
 青春の輝きだったのだろう。こうしてはいられない、と言う焦りは。もう無いですな。
 歳を重ねるとは、何かを失って行く事なのだろう。その代わり経験を積み重ねて行く。従って判断力は成長を続ける訳だ。個人差があるのは勿論だけどね。
 判断力ったって過去の経験に照らせての部分が大きい。依って新しい事には対応が難しい。新しい局面にはどうしても尻込みして、無難な路を選択しがちになる。
 年寄りが冒険を避ける様になる、詰まり保守的になるのは無理からぬところであろう。己の人生ならそれでも良いが、国家や企業を取り巻く環境が激変している時代には、年寄りがリーダーを務めるには無理がある。
 新しい環境には或る程度若い人間の方がより適切に対応できるのでは。どうせ誰も経験のない環境なのだから、怖じずに道を切り開く人間が必要なのだ。
 首相経験者が何人も愚にも付かない発言をなさるので、つい書いてしまいました。

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