2018年3月4日日曜日

閑話 その二百五十五




 思い出せば妻と丹沢には何度も行っている。結婚前には檜洞丸へ登っている。何せクリスマスのプレゼントがキャラバンシューズだったのだから。うーん、随分ひどい婚約者ですなあ。そんなん欲しくもなかったろうに。
 結婚してから表尾根を歩いた。秋だっただろう。下山中に日暮れ寸前だった。親子連れの「歩かないとおうちに帰れないのよ」との台詞を聞いた時だ。名台詞ですなあ。
 畦ヶ丸にも行った。兎に角静かな山だったとの印象だ。避難小屋で弁当を食べたのだ。多分滝も見に行っただろうが、覚えてない。
 妻にあの山にも行った、この山にも行ったと話しても全然覚えてない。「兎がいた山?」とか「花火が見えた山?」とか、印象に残ったシーンしか覚えてない。張り合いが無い事夥しい(おびただしい)とはこのこっちゃ。
 流石に本文に書いた凍った檜洞丸の事は覚えていた。山名なんざ忘れてる。唯々凍った
下りが続き、妻は滑って転び続けた。「若かったからできたのね、今は無理」と仰るが、全くその通りで、随分可哀そうな思いをさせたものだと、自責の念も湧く。
 塔に泊まって主脈縦走もした。今じゃ考えられない。外に塔にも二度登っている。鍋割にも登っている。そして大山にも。
 沢も葛葉沢、新茅沢、新大日沢、モミソ沢と初級コースだが登っている。危ない所を怖がらないので、こっちが怖くなっちまう。やけに無造作に行動するのだ。多分脳に一寸としたキズが有るのだと思われる。
 大山三峰に登った話は記述だろうが、三つ葉ツツジが満開で、狭い頂上は人が満開、弁当を使う場所もなかった。この時も鎖場や梯子を無造作に上り下りして冷や冷やさせられた。
 最近は弘法山がやっとになった。腰と背中の痛みが取れなければそれ以上は無理な訳だ。でも鍛えなければ痛みは取れない。妻がしっかりリハに励んで、又一緒に登れる様になりたいものです。

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