2018年3月10日土曜日

休題 その二百十一




 引き続きネットフレックスの話です。前にダビデを描いた旧約物を書いたが、又ダビデを観た。今回のダビデは大分違っている。預言者(予言者ではない。知ってるって?失礼)サムエルから王になると言われるのだ。
 このサムエルが戦いのインストラクターで、ダビデは徹底的に鍛えられる。何だかなあ。聖書にそんな記述はあるまい。今流に面白くしたのだろうが、どうしたって半端になるに決ってるし、そうなっちまった。
 最初は大した事のない若者が見る見る逞しくなって行く。ま、ロッキーを思い出して頂こう。そしてペリシテ人の巨人ゴリアテと闘うのだ。
 前の旧約ものではあっさりと投石縄(?)の石で倒す。今回はトレーニングの成果を見せなければならないので、一通りチャンバラをして、あわやと言う時に石を投じる。その石が光の石となってゴリアテを倒す。
 あたしの偏屈な好みで言えば、前の作品の方が信仰を真正面に押し出しているだけ増しに思える。尤もあたしの好みであって、外の人が観れば寝付いてしまうかもね。
 この時のユダヤ王はサウエルだが、ヤハウエ(神の呼び名)からは見放されている。王が滅ぼしたアマレクの家畜を自分の物にしたからだ。ヤハウエはアマレクに属する物を根絶やしにしりと命じていたのにだ。
 うーん、ヤハウエは怖いですなあ。家畜も皆殺しにするべきだったのだ。その前提は、人間は皆殺し(子供も年寄りも)と言う訳なのだから、神も仏もあるものかと、日本人なら思う処だろう。一神教と多神教はかくも違いが生ずるものなのですな。
 因みにヤハウエはユダヤ教、ゴッドはキリスト教、アッラーはイスラム教で、同一の神である。呼び名だけが異なる。
 日本は木々の中にも、石の様な静物の中にも神を見出す。日本人で良かったですよ。

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