2017年12月3日日曜日

休題 その二百




 江戸時代から今に至る迄、詩に詠まれ講釈師に演じられ、戦国合戦の華と言えば、「川中島の合戦」である事に依存が有る方は少なかろう。いや、殆ど存在しないだろう。
 双方の大将、信玄と謙信が一騎打ちしたとの故事も魅力だが、何よりも其の合戦の凄まじい戦闘が、群を抜いている事に依るものだと思われる。
 諸説有るけれど、此の愚ログは古文書を調べ上げる様な面倒っちい事はしないので、まあ、大塚の講釈位に思って下さい。
 甲越両軍の死傷者は二万人近くになる。半藤一利氏の言うには損害率は60%を超えており、ノモンハン事変やガナルカナルの戦いに匹敵するそうである。但し、ノモンハンとガダルカナルは数か月の戦いで、川中島はたった一日の出来事なのだ。
 日本最大の合戦は、天下分け目の関ヶ原だが、両軍合わせた死者は数千、それも西軍が崩れて敗走する時に生じている。従って負傷者は少ないと思われる。損害率は1.5%と見て宜しかろう。
 甲越両軍共に戦国最強軍団と謳われていた。強兵同士の正面衝突では、双方退かない為に激闘を演じる事になった、ってこってしょう。
 尤も、謙信がわざわざ敵中の山上に陣を張り、嫌でも正面衝突にならざるを得なくした戦法も見のがせない。
 それ迄は謙信が挑戦を繰り返しても、信玄は巧くはぐらかして(詰まり逃げまくって)ばかりいたのだから。
 戦国史上最大の合戦は何を残したのだろうか。秀吉は「はかの行かない戦(いくさ)」と評したそうだが、全く同感である。
 信玄も謙信も、合戦の被害の大きさには流石に慄然とした様だ。以降は真面目に両軍がぶつかる事は、絶えて無くなった。
 川中島の合戦が残したのは、詩と歴史ロマンのみ。それでも、戦国の華でありますなあ。

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