2015年3月27日金曜日

閑話 その百四十九




 十五年とは、偉い時間の流れなんだと実感させられる記録が有った。
 平成三年五月の連休で有る。「体調も悪い為、四日出発、五日帰京の小規模な春山になった」と記録には有る。四十三歳の時だ。うーん、今から思えば若い盛りですなあ。
 行程は、七時十分の特急谷川で水上へ。其処からバスで土合。其のバスが渋滞で進まず、降りて歩こうと迄思った様だ。連休の初日だから、当然の事で有ろう。
 土合駅の次が土合橋、入山口だ。多分十一時は過ぎていた筈だ。一面の新緑で、登るとすぐに雪山となる。
 白毛門を越え、笠ヶ岳直下で幕営した。其の辺りは幕営適地だらけ、張り放題で有る。最初から避難小屋は眼中に無かった様だ。或いは未だ小屋は無かったのかも知れない。
 寒い夜、コッヘルの水はガチガチに凍り、冬山と変わらない、と記録には有る。さぞや一人で寒がっていた事だろう。其の代わり、翌日の晴天は保証された様なもんだ。
 案の定晴天。朝日岳を越え清水峠へ向かったが、峠が見えているのになかなか着かない、と嘆いている。
 思い出した。峠からのトラバース道の雪が大きな起伏となり、通過に偉く苦労した。無雪期間なら十分も掛からないのに。
 謙信尾根の下りは、嫌になる程下る、と書いている。きっと嫌になったのだろう。古いトレースを拾い乍ら下った記憶が有る。
 下ってからの林道が雪の斜面となっており、ずーっとトラバースを続けると同じ事で、滅茶苦茶に消耗した。此の苦労は、やって見なけりゃ分かり辛いのだ。
 笠ヶ岳から清水部落迄は、地図上で六時間十五分、若いとは言え幕営具を背負って雪上を行くのだから、七時間以上は掛かっただろう。林道でも痛めつけられたし。
 帰りの新幹線は大混雑だったが、こじんまりとした雪山だった、と有る。(続)

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