2015年3月11日水曜日

閑話 その百四十六




 ラベルで“一期一会”と言う本文が有る。其の時のお目当ては舟窪から烏帽子岳の、後立山で一番低くて樹林帯、且つ整備が悪くてアップダウンが多い部分だった。
 従って見事に忘れられた山域で有り、其処を通ろうと言うのは変な好き者ばかり、とは本文で説明した通りで有る。
 調べたら平成十三年の八月の事だった。此処で書きたいのは、本文では触れて居ない初日の針ノ木小屋での出来事なのだ。
 梓一号で大町へ、バスで扇沢と言う毎度のコース。ごった返したターミナルを背に、と書いて有るので、さぞや観光客で一杯だったのだろう。お盆の真っ最中の事だ。
 雪渓を行く時は寒かった、と有る。うーん、真夏のアルプス歩きの醍醐味ですなあ。小屋には苦労無く着いた様だ。十三年半の歳月を嫌でも感じさせられる既述だ。
 実は針ノ木小屋での記憶は、玄関の軒先で飛沫を上げる様な夕立を見て居る事しか無い。仕上がって以下のエピソードは、記録に有るものを書き写したのだ。
 同志社大学山岳同好会の諸君が来て、受付のバイト君に領収書を請求して居た。処がバイト君、全然字が分からない。同志社を知らないのは良い。漢字が殆ど分からないのだ。
 仕舞には学生が紙に全部書いて、バイト君が其れを寫すと言う騒ぎだったらしい。其れをずーっと見て居たあたしも暇人ですなあ。
 そうなのだ。小屋に着いて荷物の整理を終えると、急に暇人になって仕舞うの。小屋でもテントでも同じ事。
 一杯やってコーヒーでも飲むと、夕食の仕度の時間迄は全く手が空く。話し相手も居ないので、人様を見て回る事と相成る。あたしが山では野次馬に変わるとは、そんな訳も有っての事なのだ。(続)

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