2015年3月19日木曜日

クソ面倒な話 その七十六




 クリミア半島合併の時、ロシアは核兵器の準備も整えていた、と発表して一寸とした騒ぎになっている様だ。
 プーチン氏のハッタリっぽくも有るが、核の準備が整っていたのは本当だろう。相当効き目が有る恫喝だ。
 核兵器は最終兵器、使われる事は無い、と思われて来たが、一つ間違えれば使われていた可能性が有る、と言う事だ。
 日本には幾つも反核団体が有るが、実際の核戦争の危機には発言は無い。今回のロシアの“準備”に対しても、「被爆地ヒロシマの願いに背くものだ」と広島市長が声明を出しただけだ。
 尤も、偉くシビアな世界では、残念乍らヒロシマの願いは一顧だにされないのが現実なのだ。でも何故“ヒロシマ”なんだろう?広島じゃ駄目なのかな。
 飽く迄私の考えだが、日本人が思う程、核使用に核保有国は躊躇いを持たない様に感じる。威力の大きい兵器との感覚が有るのでは。155mm砲の砲弾として原爆が用意されているのも、原因かも知れない。
 戦術核と言う奴だ。此れなら不利な状況を覆す為、割と撃ち込み易い。其の応酬の末、ICBMが飛び交って何度か人類が亡び去るかも知れないけど。
 言い辛い事だが、人類が一度持った核兵器を手放すとは思えない。造った限りは無かった昔には戻れない。多分鉄則だろう。
 核兵器廃絶の訴えは必要だろうが、多分実際に持ってる国には届かない。賛同するのは常に持たざる国々なのだ。
 核戦争の可能性は今回の件を出す迄も無く、何時でも存在する。パーセントは極めて低くともだ。毛沢東は「核戦争で三億人(の中国人)が死ぬだろう。其れがどうした」と傲然と言い放った。
 唯一の被爆国としてする事は、各家庭、各職場にシェルター完備、万が一の核戦争に如何に生き残るかを、真剣に考える事だと、悪い頭を振り絞って考えるのです。

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