2014年9月7日日曜日

休題 その百三十四




 二大山本の話。山本夏彦と山本七平だ。前にも書いたと思うけど、何度でも書く価値が有ると思うので、又書こう。
 夏彦氏はさらりと書くので、読み易い。御本人の仰って居る事を、本当に理解出来て居るかは別にしてだ。
 あたしなんかは、分かって居る積りで有って、本当に分かるには至らないのでは。きっとそうだろう。
 理由は、彼の言う処の、何も分からん奴が時流に乗って、そうだそうだと言って居る奴かも知れないから。
 えーと、例が分かりにくかった。
 彼はさらっと書くが、深い裏の意味が有る(様だ)。あたしには、其れを読み切れないのだ。表面だけを捉えて居ると思われる。
 其の点、八平氏は論理づけて懇切丁寧に説明をしてくれる。従って夏彦氏より、比較を絶して主旨が分かり易い。其の代わり読みづらい。本人が激して居る時は(たまに有る)、其の怒りが直に伝わり、疲れる。
 旧陸軍の不条理さを語る時や、今の視点で昔を解釈する愚かさを指摘する時等に、普段は冷静な彼とは思えない激しい筆になる。
 従って、電車の中での読み物には適さない。電車の中の読み物は、夏彦氏になる。七平氏は、覚悟を決めて、さあ読むぞ、と言う時に手にする訳だ。
 方法が正反対の両氏の対談を読むと、殆ど意見は一致する様だ。
七平氏は、フィリッピンの戦場で九死に一生を得た命懸けの経験から、日本人とは、そして人間とは、と問い続けて、人間と社会を貫徹する視線を得た、と思える。
 夏彦氏は、本人曰く、自分を見つめる事で人間と社会を分かったと言うが、プラス尋常ならざる好奇心と観察眼の持ち主なのだ、とあたしは思う。
 今は二人共亡き人だ。今だからこそ、両山本氏の意見を拝聴したいが、叶わぬ話だ。旧書を読んで、彼等ならどう考えただろうと考えるのが、唯一出来る事だ。
 寂しいですなあ。

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