2013年10月11日金曜日

休題 その百二十二




 休題百二十一で、坂の上の雲に触れた。最初に読んだ司馬作品は、新撰組血風録だ。高校生だった。すっかり虜(とりこ、分かってるって?失礼!)になって、かたっぱから読む事となった。
 実はあたしの小説入門は、芥川龍之介だ。俗な奴と思われたら、其れで結構です。角川も新潮も、文庫は全部買った、重複はあたぼうだが、多少違う作品も有るのだ。未定稿集すら買い込んだ(高価だったんだけど)。Nが、芥川龍之介と言う字を見ると大塚を思い出す、と言う程だった。
 初めの頃は初期の作品が気に入って居た。まあ当然ですな。何せこっちは高校生、外連味(けれんみ)たっぷりりに幻惑された訳だ。
 前期と中期の間に、杜子春を書いて居る。此れは見事だ。原作は中国の古典だが、彼流(らしくなく道徳的なんだけど)にアレンジし、原作を遥かに凌駕する名作に仕立てた。同時期に、藪の中も発表した。
 其の後に、停滞期が来る。天才が突っ走り切れなかった苦しみだろう。凡才のあたしでさえ分かる愚作(言い過ぎですかね)が続く。
 中期であたしが好きなのは、トロッコと庭位なものだ。あとは俗に保吉ものと呼ばれた、詰まらんものばかり(又もや失礼)。
 庭は短編乍ら、彼の最高傑作の一つ(変な表現)だとあたしは思って居る。某評論家も同じ事を言って居たので、満更勘違いでもなさそうだ。
 停滞期を抜け後期(晩年とも言える、と言っても自殺したのが三十五歳だ)となると、俄然名作が並ぶ。大道寺信輔の半生、点鬼簿、玄鶴山房、河童、文芸的な、余りに文芸的な、歯車、或阿呆の一生、西方の人、こんなとこだろう。侏儒の言葉、も有ったか。
 あたしは、点鬼簿と歯車が好みだ(直訳の様な文章ですなあ)。点鬼簿の抑えの効いた寂しさと歯車の狂気に、否応無く引き込まれる。
 後期作には前期作より地味だが、苦悩と狂気と不思議な静けさが有る。あたしは、勿論 後期好みだ。
 享年三十五歳。あたしは六十五歳。何やってんだろうねえ。比べる相手を間違えた。芥川龍之介、駆け抜けて行った天才です。

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