何の話だっけ?靴だった。
ま、登山靴さえ使い捨ての時代です。何か間違えて居るのでは?と思うのは歳の所為かなあ。其れでも多分、私の感覚の方が、古くても正しいのだろうと思う。
塔へ登って来ても、皮の登山靴は十人見るかどうかだ。あ、データーとして滅茶苦茶不備でした。何人中の十人かが大切なのだ。
そうねえ、馬鹿尾根のピストンとして、百人位、多い時は二百人位の人と擦れ違ったり前後したりするので、中を取って百五十人としよう(相変わらず好い加減な私)。6.7%で有る。一割は切って居たのだ。此れは私の感じてた処と一致するので、多分近いとこだろう。
革靴は、判で押した様に年配者だ。何せメンテが良ければ革靴は長持ちする。二十年三十年は当たり前。重いったって、縦走には重い方が安定して有利な位だ。従って、使い慣れた革靴を安っぽい(失礼!でも、そう見えるので)ゴアに履き替える気持ちは、更々無いって事なんでしょう。
従って、地下足袋に至っては、絶対無い。地下足袋が有れば癌が治ると言われても、無いものは無い。最近は尾根筋で、地下足袋に出会った事は、山仕事のおじさんを除いて、一度も無い。残念乍ら、此れじゃあ治る癌も治らない。
もっと昔は下駄で箱根を越えた。詰まり、山に登った。箱根の山は天下の険♪と歌が有るでしょうが。天城越えも下駄だったろうか。伊豆の踊り子はどうだっただろう。あ、あの学生は、確かに下駄履きだ!!
伊豆の踊り子、母は最高の踊り子役は山口百恵だと力説して居た。私は、内藤洋子フアンだったので、当然異議が有った。今思えば、母が正しかった。
又、休題の内容になっちまった。歳は取りたいもんだぜ。え、酒の所為も有るって?えーん、嬉しいよ、庇って下さって!兎に角、此の続きは休題でって事にしましょう。
前述だが、初冬の大山に下駄で登った時は、下りが辛かった。霜柱が融けてギュチャグチャな道に下駄の歯をとられ、進みにくい事夥しい。
山頂から向かったのは日向薬師、真直ぐ大山口へ向かえば、霜融けも少なく(石畳が多い為)ずーっと楽だったろうに、行って見たかったんですなあ、下駄で日向薬師へ。一種の病気だと思って下さい。
酷い路を下る(其れも下駄で)と、鼻緒が伸びきって指のまたにモロに食い込んで来て、とても痛い。おまけにドロに塗れちまうんだ。其の上足が冷たくて辛いのだ。ま、至極当然な事なんだけど。
日向薬師へはどうにか辿り着いたが、下駄は山登り、特に霜融けの時には、有効な履物では無い。え、分かってるって?其れなら良いんだけど……。
(下駄より地下足袋 その四へ続く)
2011年5月1日日曜日
下駄より地下足袋 その三
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2 件のコメント:
アチキは無茶が多かったので、19のときに脊椎コンショウと診断された。何処で壊したかの記憶は無い。
30過ぎでダラけた足腰で春スキーでのことです。午前中は我慢していたが昼飯のときにビールを飲み、リフトの下の深雪に挑戦。当然べた雪で鉄塔を避け木に激突しないように慎重に降りたのだが頭から転倒しました。診断は、むち打ち症。何時もはザックに一眼レフを入れていたのですがそのときだけはポケットにバカチョン・カメラ(朝鮮の方に御免なさい)だけだったのはラッキーでした。
痛み止めは胃を荒らすだけ。使わない主義なので気功にかかり「気」の流し方を教わり自分で気を流すことや、他人に好い気や邪気を飛ばせるようになりました。
襖の向こうに何人いるかを感知できるし同じに見える果物や野菜の成熟度も判別します。
整体やカイロも気功に通じるもがあり、ツボも分かるので「地下足袋が有れば癌が治る」とゆうのは本当かもしれませんね?
悪戯っ子さんは、何たって様々な経験を踏んで居るので、気を飛ばす位やってのけるでしょう。
但し、邪気は飛ばさない方が良いです。
邪気は倍になって自分に帰って来ますよ。
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