2020年4月20日月曜日

休題 その三百



 東北大震災の後に、吉村昭の「三陸海岸大津波」が売れた。彼が克明に調べて纏め上げた力作である。涙なしでは読めないエピソードも多い。そして再び同じ悲劇が襲って来たのだ。喉元過ぎると熱さ忘れる、と言ったら不謹慎であるのは承知している。
 今回の武漢肺炎ではカミユの「ペスト」が売れていると小さな記事で読んだ。実際はペストではなく、それに似た疫病の話(勿論フィクション)だが、疫病猖獗の中に生きる、或いは死んで行く人々を描いている。その状況が現在に通じるからだろう。
 カミユの「ペスト」の世界は熾烈である。致死率が桁違いに大きい。死体処理すら間に合わなくなりそうな悲惨さだ。武漢肺炎が可愛く思える程である。
 徐々に始まり、指数的に増加し、高止まりで一進一退を繰り返し、やがて減少に転じて尾を引き乍ら収束する。疫病の起承転結は正確に描かれている。
 カミユだから不条理を描くのだが、疫病自体を不条理として扱っている。そうでしょうとも、昨日迄普通の生活だったのが、今日から突然非常事態に放り込まれちまうんだから。
 今我々も不条理の真っただ中にいる。これはどう仕様もない事だ。「ペスト」は一つの市の出来事だったが武漢肺炎は世界的流行だ。致死率は小さくてもより深刻な状況であるのは間違いない。経済的打撃も甚大だろう。
 武漢肺炎が収束した時には世界が変わる、と指摘する識者は多い。持てはやされたグローバリズムは後退するだろう。EUもその形を変えるかも知れない。現にEU諸国は国境を閉ざしている。やがて一つの国家になるなんて、幻だった訳だ。非常事態になったらEUは国民を守ってくれない、と言う事だ。国民を守るのは結局国家なのだ。日本政府も良くやってると思う。完璧はない。それにしてはマスコミは責め過ぎでしょうが。

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