2020年1月24日金曜日

休題 その二百七十九



 去年十月の休題で、山本五十六連合艦隊司令長官を愚将だと断定した。あたしが様な素人が云々するのはお門違いだとは心得ているが、そうとしか思えなかったからだ。
 その後ネットで面白い話を見つけた。その元になる文献にあたった訳ではないので、真実かどうかは曖昧だが、専門家の発言なので多分そうなのだろう。専門家だって間違えはある。従って話半分に捉えて頂きたい。
 昭和十六年に戦争方針が決まった。陸軍の決定か国家としての決定かは不明だ。だが、その内容は極めて理に適っている。
 資源を絶たれたからには、南方の資源を確保しなければならない。英蘭に宣戦布告して南方に進出する。フィリッピンが横腹を突く場所にあるので、占領せざるを得ない。但し無力化するのみで、統治はフィリッピン政府に任せ、やがて米国に返還すると発表する。
 それで米国と戦争になる確率は低いと踏んでいた。ルーズベルトは戦争をしないと公約を掲げて大統領になった。米国人も第一次大戦の大被害で反戦気分が大きかったからだ。それでも米国と開戦となったら、フィリッピン沖で待ち構えて海戦とする。
 米国の出方を見守り乍ら、陸海軍共に西に向かう。詰まり印度を解放するのだ。これで英国は継戦能力を大きく削がれる。印度洋を抑えられたら、オーストラリアとの連絡も絶たれるのだ。アフリカ東岸も視野に入る。英国は窮地に陥るだろう。
 此れが正解でしょう。米国との開戦は、悪くても五分五分と判断していた様だ。仕方なくやって来る米太平洋艦隊との決戦の勝敗は、これも五分五分位かな。無根拠だけどね。
 引き分けに持ち込めれば、フィリッピン返還を申し出て早期講和も夢ではなかったかも。その前に英国インド洋艦隊は全滅してる訳なのだから。この理に適った決定は何故か覆されてしまったのだ。嗚呼。(続)

3 件のコメント:

悪戯っ子 さんのコメント...

山本五十六に限らず、大正期のモダンタイムがあり知識層は広がった。
昭和に入ってから士族でなくとも重要な職業に付けたり、軋轢から逃れた女性達も工場労働者とした。与謝野晶子はこの頃に活動した当時としては破天荒な人だ。

いわゆる知識人は裾野を広げて共産主義者までが日本と海外列強の事を知っていた。
つまり、石炭だけでなく石油が必用なこと、樺太で少しあった。
昭和十六年に戦争方針が決まった、とあるがきっと各大臣と陸軍が図って天皇の許しを得たのだ。
天皇は最高の決定は下すが、あくまでも容だけで、だからこそ東京裁判で被告に成らなかった。
資源を絶たれたからには南方の資源。インドネシアまで占領したが当初の目的のインドには届かなかった。飢えやマラリアに水虫で足を切断することもあったらしい。なんせ日本軍は米と味噌を背負って行軍したのだ。海路は駄目で陸軍だけがインドを解放すると頑張っていた。

ルーズベルトは国益重視で海軍で次々と出鼻を挫いた。ピンポイントで滑走路を爆撃して日本軍の退路すら無くした。
流石に米海軍は強かった。空からは新型のナパーム弾を一番燃えやすい東京下町は3月10日である。奇しくも東日本大震災の1日前た。
フィリッピンは米国の支配を受けたし、インドネシアは領土の一部か米国となった。
だからインドネシアはアメリカが大嫌いなのだ。
オイラはアメリカ人は良いけど、USAは大嫌いなのだ‼️

悪戯っ子 さんのコメント...

追記
そう、オイラもガキの頃からアメリカンホームドラマを観てゲルマニウムラヂヲで FEN を聞いていた。お陰さまで英語は、ジョークを云える程度だ。
今でも車では、AM 810を鳴らす。コマーシャルが無いし、邪魔にな無い。CDは一枚が入りっぱなしで飽きている。メモリースティックから,FMラジオ派に飛ばせば良いこと位は分かるが其処までやらない。理由は自分でも分からない‼️

kenzaburou さんのコメント...

アメリカを相手にしていたので印度に届かなかった。
全力でセイロンから印度を目指せば可能だったかと。
チャンドラボースもいたし。