2019年7月31日水曜日

閑話 その二百九十五



 「花立からが山だ」 このフレーズを何度書いた事だろう。実際そうなんで仕方ないですなあ。それ迄は詰まらない登りの連続だ。
 花立からも当然登りだが、環境が一変して山登りになる。標高も高くなるので暑さも相当和らぐ。その代わり疲労も出るので、登りが偉く辛くもなる。こっちが下りの時、擦れ違う人々は気息奄々の場合が多い。登りの人に道を避けて「どうぞ」と声を掛けても、「いえ、どうぞ」と路を譲られる事が多い。あたしにも覚えがあります。一寸とでも休みたいのだ。ぐんぐんなんて登れない。
 この日は何とか最後の登りを終えて頂上に着いた。多少雲をまとった山々が出迎えてくれる。前回の様な雲海ではないが、晴れ渡った山とは又一味違って良いものだ。
 彼方此方で登山者が休んでいるのも常の如し。風雨だったら皆さん小屋に逃げ込んで、滅茶苦茶に混むのだ。昔なら小屋でビールをキューっと飲んで下るのだが、今はそんな無茶はしない(できない)。7km、比高1200mを下らなければならない。昔は何でもなかったけど、今では立派な一仕事なのだ。
 頂上で何枚か写真を撮って、もう一度ぐるっと景色を見まわして下りに掛かる。急ぐ旅でもないので、普通に下って行く。登って来る諸君は一番苦しい処なので、挨拶も息絶え絶えだ。若い諸君は元気にやって来る。
 あたしが五十歳一寸と前、三脚にカメラを着けてとっとと登り、上品な初老の男性が休んでいる横に三脚を立て、檜洞丸を撮っていたら「身軽に登られて羨ましいです」と言われたのは本文で既述だ。今はその男性の気持ちがよーっく分かります。それに今じゃ三脚も持たない。重いし面倒だから。駄目ですなあ。
 花立には直ぐ着く、結構苦労して登ったのに、下りは楽なのだ。その勢いで花立山荘へも下ってしまう。そして大階段の下りも、登りと比べると偉く簡単に済ませるのだ。(続)

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