2018年10月28日日曜日

休題 その二百三十二



 沖縄戦に於ける死者は以下の通りである。
本土出身将兵   65、908人
県民 軍人・軍属 28,228人
   一般人   94、000人
計       188,136人

 十二万二千人以上の死者が沖縄県民である。軍人・軍属としてカウントされる現地召集者と言えども、昨日までは全くの一般人だった人なのだ。
 曽野綾子氏に「生贄の島」と言う作品がある。昭和四十八年に二百人近い生き残りの人にインタビューして書き上げた、看護師に志願した女子中学生を中心としたドキュメンタリーだ。文句なしの力作ではあるが、読み終えると心がぐったりと疲れる。その文中の、ひめゆりの壕で生き残った山城信子氏の証言を引用しよう。
 
 「(略)私はあのひめゆりの壕へはめったに行かない。花売りも壕の上で記念写真とってる人もいやだ。あそこへ行くと、苦しんでもがいていた友達の悲鳴が、つんざくように天地から聞こえて来る。泣けて泣けて、何もできないんです。壕の上に立つと、皆が私を懐しんで、私は中に引きずりこまれそうになる」

 沖縄の基地問題がこじれるのも、全く無理がないと思わされる。
「沖縄県人かく戦えり。県民に対し後世特別のご高配を賜わらんことを」と書き残して自決した海軍太田少将の言葉を、今こそ思い出すべき時だと思う次第です。

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