2018年10月24日水曜日

休題 その二百三十一



 沖縄基地移転でもめている。根っ子は沖縄戦にありそうなので概要を書いておこう。
 西南諸島は第三十二軍が守備を担当していた。決戦の場となった本島には、第二十四師団、第六十二師団、独立混成四十四旅団の三個兵団が展開していた。外に日本軍としては非常に強力な軍砲兵団が配属されていた。
 本島の戦いは四月一日の米軍上陸から終戦の日迄続いた。互角に戦えたのは首里攻防戦迄で、五月二九日の首里撤退からは敗北の坂を転がり落ちる様に南部に追い詰められ、各個に撃破されていった。
 沖縄戦を特に悲惨なものにしたのは、民間人をも南部へ退避させた事である。民間人を激戦地へ送り込んだ事になる。南部はサンゴ礁の地盤の為、壕は掘れない。従って天然洞窟や沖縄独特の墓に入るしか身を守れない。一家が墓に避難していると軍に追い出される事例が多発した。
 外に出ると歌の通りに鉄の雨が降る。普通の雨と違うのは横からも降る事だ。追い出された家族は鉄の雨に打たれて、一家全滅となる。沖縄県民が本土に微妙な感情を抱くのも、至極尤もな事なのだ。
 軍にも言い分はある。本土決戦の準備の為に、一日でも長く米軍を沖縄に縛り付けておく事が任務であって、住民を守る義務は負っていなかった。これは32軍の罪と言うより、大本営の罪だと言うべきだろう。
 十七歳から四十五歳の男性は現地召集兵として戦闘補助の任に着いた。男子旧制中学生は鉄血勤皇隊として補助兵の役を、女子旧制中学生は看護師の役を担った。これらの旧制男女中学生は、二千人と推定される。 旧制中学校とは、現在で言う中学二年生から高校三年生迄の年齢に相当する。文字通りの少年少女達だったのだ。軍務に関しては一応志願制だったが、断るのは難しかっただろうし、断る気持ちを持たなかった生徒が大部分だった様だ。(続)

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