2018年4月6日金曜日

休題 その二百十四



 世田谷に住んだのは小学校五年生の時だから、昭和三十三年の時だ。平成二十年に町田へ来たのだから五十年世田谷に住んでいた訳だ。人生の多くは世田谷時代になる。
 世田谷と言えば高級住宅地のイメージだが、チッチッチ、飛んでも無い勘違いってもだ。住み始めた頃は一面の畑と雑木林で、彼方此方に肥溜めの有る所だった。今でもそうだが農協が有り、牛舎迄有った。
 段々と家が建って、気付くと町になっていた。それでも大きな農家が点在していた。今でも農家は結構有って、野菜の無人販売所が有ったりするのだ。勿論駐在所も健在だ。駐在さんが町の治安を守っている所なのだ。
 農家、高級住宅地、わーっと建った家並みが混在しているのだ。東方の前から開けて居た北沢や三軒茶屋を除けば、本質的に田舎と言うのが本来の世田谷区である。
 地価で言うとずーっと長い間、三軒茶屋、下北沢が高価であった。成城学園がお屋敷町ったって、商業地には敵わないのだ。
 それがここ数年で様変わりした。二子玉川が区内トップになって、三軒茶屋、下北沢を抜き去った。あんな多摩川沿いの坂下の地域がである。
 あんな、なんて言ったら笑われる程二子玉川は変わった。久し振りに訪れたら、え、と驚き程、モダンで賑やかな町になっていた。二子玉川遊園地が有った頃の面影なんざ何処にも無い。欠片も無い。
 貧弱なバスロータリーと周りのしょぼい店、もうそんなのは無い。きっかけは玉川高島屋だろう。何でこんな変なとこへ建てるんだ、と訝しく思ったもんだが、高島屋に先見の明が有ったと言う事だ。
 かくして世田谷の繁華街は西にシフトした。まあ、東京全体から見ても東から西へ長期に渡ってシフトが続いている。スカイツリーがその傾向に一寸と待ったをかけたけどね。

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