2018年4月19日木曜日

休題 その二百十七



 あたしは頭が雑なのでだろうけど、世の中で言われてる事で分からない事が多い。
 その一として、裁判員制度が造られたのは裁判官と一般人の感覚の乖離が著しくなった為、少しでも改良しようとした訳だろう。
 と言う事は裁判官の判決に納得できない国民が非常に多くなったってこった。でもって導入した制度だが、選ばれた(無作為に)裁判員の皆さんは偉く悩み苦労し必死に考えて結論を出すそうだ。何せ人の生き死にを決める場合もあるのだから。
 日本人は真面目ですなあ。膨大な資料に目を通し、状況を勘案して悩み抜いて結論を出す。それも全員がだ。精神的にも身体的にも過酷な作業だ。
アメ公(失礼)なんざにはそこ迄の真摯さは、映画を観る限りでは感じられ無い。有能な弁護士(詰まり有能な嘘つき)に操られ放題と描かれている。ま、その状態自体を告発してるんだろうけど、その状態が常態(!)って事を表しているのだ。
 話を戻すと、日本では胃に穴を開ける程悩んで、死刑以外にない、と一同が決定する。それが必死に考えても当然としか思えないからだろう。そしてそれが一般人の結論なのだ。
 処が上訴すると、ほぼ全部覆される。死刑はほぼなくなる。散々悩んだ裁判員は、胃に開けただけバカって事かい?
 普通に見て死刑が相当と結論を出す一般人の感覚を重視する為の法政なのに、全然一般人の感情を無視しているのだ。だったらそんな制度はやめちまえ!
 真面目な人に苦労ばかりかけて、結局は前例に従うなんて、裁判員制度の意味が何処にあるんだ。国民が裁判の判決に疑問を持ち始めたから始まった制度だろうが。
 こんなバカなな事が繰り返されれば、司法制度に疑惑を持たれてしまう。いや、もう既に疑惑は広がってるかもですよ。続きます。

0 件のコメント: