2018年2月19日月曜日

休題 その二百八


 「面倒な話」でウクライナの革命を書いた。それで一寸とウクライナについて触れておこう。スキタイの根拠地であった古代は良いとして、スラブ人が中心に居住した時代からだ。
 バッサリと言うとヴァイキングが侵入してキエフ・ルーシ公国を造った。ヴァイキングはやがて現地のスラブ人と同化していく。これがウクライナの起こり。882年の事だ。
 キエフ・ルーシ公国は滅びるが、その一部のモスクワ・ルーシ公国は生き残る。これがロシアとなる。ルーシがロシアに訛ったのだ。
 ウクライナが本家と言う事になるが、ロシアの見解はキエフ・ルーシ公国は滅びたのだから、ロシアこそが正当、と言うものだ。勿論これには異論が存在するが、ここでは触れないでおこう。
 面白いのはキエフ・ルーシ公国建国の頃、隣にはハザール可汗国があった事だ。突厥の支族と言われているからトルコ民族の遊牧国家である。何が面白いのかって? 
 9世紀の初めにユダヤ教を国教にしたから。ユダヤ人国家以外ではでハザール可汗国だけだ、一気にイスラムに改宗したトルコの一族なのに。ね、面白いでしょうが。
 ハザール可汗国は百年に亘ってカフカスから侵攻して来るイスラム国と闘い、イスラムを食い止めた。もしハザールが無ければ東欧はイスラム諸国になっていただろう。
 結構ユニークな存在なので、欧米人はハザール人が東洋系ユダヤ人の先祖と考えている様だ。当時のトルコ族は未だ混血は余り進んでおらず、モロにウラル・アルタイ族、詰まり蒙古人と同じ顔つきだった筈だ。
 ウクライナの話でしたね。やがてコサックが台頭し、小規模ながら国家らしきものも立てる。コサックでドン川河口地帯へ住み着いた者をドン・コサックと呼ぶ。合唱団で名高いあれである。ウクライナは地政学上ロシアと揉め事が絶えない。日本は島国で良かった。尤も大陸と陸続きだったら、平和ボケのお花畑は誕生できなかった訳だけどね。

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