2018年2月16日金曜日

クソ面倒な話 その八十八




 今真っ盛りのオリンピックとは無関係な話。ネットフィックス製作のドキュメンタリーで取り上げられたウクライナ動乱、現地の呼称ではマイダン革命を書いておきたい。
 数十万(一説には百万)の民衆が首都キエフの広場に集まり、発砲され死者が出る弾圧にも屈せず、ロシアべったりの大統領を追い出した出来事だ。
 何故それを取り上げるかというと、ベルクトと呼ばれる重武装警官隊が鉄棒(!)をふるって襲いかかり広場の民衆を排除しようとすると、押され崩れそうになった時に民衆から国歌が湧きあがる。それが大きな合唱となってベルクトを押し返すのだ。
 これこそが国を愛するが故の活動だろう。勿論広場には国旗が沢山翻っている。そして精神を鼓舞する時は国歌を歌う。
 日本のデモる群衆は、果たして国を愛するが故の活動なのかい? 安保法案の時は大勢が国会前に集まったが、国歌が聞こえた覚えはない。国旗すら見た事がない。赤旗や労組の旗が翻るのみだ。外の殆どの抗議集会も同じだ。赤旗の元に集まる奴等が、国の為に戦って居るとは全く思えない。
 彼等は安倍首相を独裁者だ、ヒットラーだと罵る。もしそうならウクライナの群衆にした様に、鉄棒で殴り付け発砲して追い散らすだろう。一発でも銃弾が頭をかすめた事があるのだろうか? 絶対安全な環境で特定のイデオロギーを振り回すエセ革命だと断定できる。本人達は市民活動と称しているが、大体何処の市民だ?
 ウクライナはコサックの故郷である。流石に強靭な精神力を持っている。ベヌコーヴィッチ大統領はプーチンの元へ逃げた。その報復がロシア軍のクリミア半島への侵略となった。そしてクリミアはロシア領になった。
 マイダン革命で死者百二十五人、行方不明者六十五人、負傷者千八百九十人の犠牲を出した。そしてウクライナは事実上の独立を果たしたのだ。
 Wikipediaはウクライナ動乱と記述せずに、マイダン革命とするべきではないか。真の国民に依る革命なのだから。

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