2017年4月5日水曜日

閑話 その二百二十二




 三月も末になって二十六日、二十七日と雨が降った、二十七日の午前中で上がったが、寒い雨だった。と言う事は、丹沢では雪だ。
 二十八日に雪を踏みたくて塔へ出掛けた。本文では春が来た来たどこに来た、なぞと書いている癖に、雪の丹沢のお話。
 バスからは二十人程が降りた。真っ青な空と白い山々。晴天は昼迄の予報である。花立へ登るトレースもはっきりと見える。花立でスパッツを着けるつもりだったが、大倉は日当たりが良くて暖かく、凍えてスパッツを着けるのも何なので大倉で着装した。
 雪の塔を目指すだけあって、若者が中心だ。あと中年組、老年は極少数である。あたしは其の老年に入るのだろうかな。本人は若いつもりだが、傍から見ればそうは行くまいて。
 堀山を越えるとやっと雪がチラホラ現れた。大階段は半分雪に埋まっている。花立山荘へ登り着くと、脛迄の雪になっていた。
 此処迄はスパッツ無しで来た諸君も、一斉にスパッツを着けている。へっへっへ、大倉で着けておいて良かったぜ。唯、早くも富士山は姿を隠して仕舞った。山では里よりも天候の崩れは早く回復は遅い。妥当な処だ。
 此処からは雪山だ。ヤッホー!と言いたい処だが、大分疲れて来ただで、きついおー、と胸の内で呟いて登る。情けない親父だ。
 爺さんを抜いた。口だけはやけに元気である。一条のトレースが続くのみで、左右に踏み込むと腿迄もぐる。良くしたもので、擦れ違う為の退避場が彼方此方に出来ている。
 退避場で下山者があたしの通過を待ってくれている。礼を言って通り過ぎると爺さんが続いて来るのをも待っている。
待ってる人「ゆっくりどうぞ」
爺さん「そうは行かないやね!」
 其の心がけは立派だ。でも実際はゆっくりにしか行かないのだ。やがて声も聞こえなくなったから、大分離したのだろう。続きます。

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