2015年6月25日木曜日

閑話 その百六十二




 平成四年の夏山は日光だった。一寸と変わり種なので見てみたい。
 八月十一日夜の東武線で日光に行き、駅前で仮眠した、小雨、と有る。さて、何処で寝たのだろう?小雨だからロータリーではない。駅の軒先かな。
 翌朝(多分)始発のバスで二荒山下車。体調が良くないと書いて有る。当時四十五歳だ、体調不良だって有ったのだろう。
 此の日の行程は七時間だが、大事を取って男体山をゆっくり行く。風で寒い。此の記述で思い出した。キスリングを背に、ゆっくり登った。行けども行けども景色は変わらない。段々中禅寺湖が遠くなるだけだ。
 前後した中年のパーティから声を掛けられた。「旦那さん、冬山訓練ですか」私の方が若いんだから旦那さんはないと思うが、大きなキスリングとゆっくりな足取りで、冬山訓練と思えたのだろう。
 志津小屋に向かって下り始めると雨。高山植物花盛り。まあ、悪天候だと花しか見る物は無いんですなあ。
 志津小屋(避難小屋)は綺麗な新しい小屋。水場が目の前なのが嬉しい、と有る。勿論雨の中に来る物好きは無く、私の独り占めだ。
 翌朝も雨。縦走を諦めかけたが、道標を見たら自然と女峰へ向かっていた、と有る。今ならトットと降りて温泉にビールだろう。矢張り若さだ。
 思えば此の年の夏は何と無く不調で、南北中央アルプスの自信が無かった。其処で日光連山縦走を思い立ったのだ。マイナーなコースをやる絶好の(?)機会だ。それに、一度はやって見たいコースだったのだ。
 実際は地図を見ても分かる通り、中禅寺湖から霧降高原迄、男体山を越え(此れだけでも重荷だと大変)、女峰に掛かるとアップダウンの連続で、きつさはアルプスと変わりは無い。整備が悪い(当時)分だけ、辛いかも。
 併し、奥日光の縦走には夢を感じさせる何かが有るってこってしょう。私にはね。(続)

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