2015年6月22日月曜日

遭難今昔 その一




 昔々の遭難は両極端だった、と記憶して居る。勿論、例外は大有りだろうけど。遭難の章なのだが、面白半分に書くのでは無い。最近の遭難に、昔風のものが散見されるからだ。
 何を以って両極端と言うか。一つは、確りしたパーティが、難度の高いアタックに敗れる、と言うもの。一つは、雑なパーティが気象遭難を起こすもの。
 雑なパーティとはひどい言い方だが、説明すれば、リーダーの完全統率下には無く、何か変事が出来すれば即バラバラになって仕舞うものを指す。
 確りしたパーティの気象遭難は、本当の大昔には有った。装備が劣悪(比現在)な上、気象情報はほぼ無かったからだ。
 私の子供の頃ともなれば、其の様なパーティの遭難は、岩稜登攀か厳冬期に限られた。特に、岩稜登攀の事故が多かった。前述の谷川岳のコップ状岩が、其の代表だろう。
 自ら進んで困難な岩稜に挑み、敗れて命を落とす。親ならずとも、何で山へ行く?と思うのは当然だろう。でも、命懸けでもやりたかったのだから、仕方が無い。
 家族や所属山岳会、そして無関係の救助隊に、多大な迷惑を掛けるのは言う迄も無い。下手すると二重遭難となる。救助する方としても、息の有る遭難者は、命懸けで助けるが、
遺体は物として扱う(と聞いた)。死人を運ぶ為に自分が死ぬ訳にはいかないのだ。
 辛い真実で有る。遺族には耐え難いだろう。でも、そうしなければ、更に遺族を増やすかも知れないのだ。
 此の手の遭難は、現在はほぼ無い。装備、技術、情報、全て昔とは雲泥の差が有る。少々のオーバーハングなんざ何でも無い。凄い時代になったもんだ。
 (遭難今昔 その二へ続く)

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