2015年6月11日木曜日

休題 その百四十六




 前章に続いて“七人の侍”です。
 見所は満載で有る。流石黒沢明、例に依って三人で脚本を書いている。黒沢明一人で書いたら、彼の限界が作品の限界になる。限界を突破するには変なプライドはいらない。
 あたし的には、前半に見所は集中している。登場人物のキャラは、殆ど描き出されている。どんな人間だろう?どんな人生だったんだ?何を意気に感じるのだろう?どんな力量だ?何が好き?何が辛い?どう生きたい?どう生きたいんだ?
 それを全て前半で描いた(ほぼ80%位かな)。或いはそれが、此の作品の唯一の欠陥かも知れない。
 後半は野武士団と如何に戦うかに集約される。其処で明かさせる事象も有るが、三船敏郎の生い立ちくらいが、花だろう。雨の決戦も迫力満点だが、ドラマではなくストーリーの描写だ。
 あたしゃ、前半を見終わったら、もう後半は良いや、と思ってしまう。黒沢監督に失礼?
 本当にそうだよね。でも、そう思っちまうのだから仕方ない。
 見所満載の前半の見所は、前半のラストに有る。戦略上捨てなければならない川向こうの三軒が有る。其れを志村喬が村人に告げる。「三軒の為に、二十軒を犠牲にはできない。其れが戦というものだ」。
 併し川向こうの住民は戦闘訓練を拒否し、竹槍を捨てて去ろうとする。温厚で怒った事もない志村喬が殺気を帯びて抜刀し走り寄る。
 川向こうの住民達は怯えて逃げ、竹槍を取って百姓の列に戻る。
 志村喬は言う。「人を守ってこそ自分も守られる。さもない奴は……」。最後迄言わず去る。さもない奴は斬る、だとは誰にも分かる。
 集団的自衛権でもめているが、其の全てが集約されている。“人を守ってこそ自分も守られる“。
此の心の無い人達の何と多い事よ。自分だけ(国だけ)良ければ良いとは、戦国の昔から卑怯千万、死に値する事なのだ。
 人も国も、助け合いましょうって事です。

0 件のコメント: