2014年12月9日火曜日

閑話 その百三十五




 何時もの如く、一七時半には寝て仕舞う。此の時期は暗くなって居るから増しだが、五月なら未だ夕方になりかけだ。でも此れが我々のパターンなのだ。
 ふ、と目覚めれと七時半、Yは腕枕で半睡状態だった様で、あたしが体を起こしたら直ぐ目覚めた。
 此れから二次会が始まるのだ。大体、二次会がメインの宴会となるのが常で有る。アルコールに困らない為に、重い思いをして担ぎ上げて有る。
 結局四時間も騒いで十二時前にお開きとなった時はベロベロ、表で小用をたすのもよろけ乍らだ。何たって誰も居ないんだから、誰にも迷惑を掛けない。夜中迄騒いで居てもだ。
 此れがテントの忘年山行を止められない訳だ。民間の山岳クラブの忘年山行は、手近な山に登って、麓か東京で忘年会と言うパターンが多い様だが、帰る心配が付いてまわる。
 テントでは其の心配が無い。酔い潰れて眠れば良いだけさ。最高じゃんかさあ!
 翌朝はYに起こされた。六時半だった。あたしにしては良く寝たもんだ。大倉へ下るのに一時間、従って何時に起きても良い、目覚めたら起きよう、と決めて有ったのだ。
 撤収しさり気無く尾根に登り登山道に入る。前日程では無いが、登山者は多い。来る時O屋が閉まって居るのは確認したので、大倉手前のお焼き屋へ入って見た。
 うん、当たりだ。店番の爺さんの愛想が無いのが良い。値段もまあまあだ。此れでO屋の代わりを見つけたが、O屋が無いのはやけに寂しい。
 味噌田楽を肴に、ビールと焼酎を飲んだが、夜中迄飲んでて、又朝からかい?とは誰も思わない。此れをこそ忘年山行と言うのだ。
 目出度く今年の忘年山行はかくして終了した。あ、山は未だ行きますよ。

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