2014年12月12日金曜日

休題 その百四十




 前章休題百三十九の続き。
 七人の侍には、もう一つ虚構が有る。其れは侍と百姓を厳密に分けて居る事だ。そうなったのは、江戸時代も安定してからだ。
 戦国時代は、百姓と武士の差は無いに等しかった。百姓でも戦に駆り出される。武士でも戦が無ければ、田を耕して居る。常備軍を持てたのは、裕福な濃尾平野の織田信長位なものだろう。
 武田軍の中核は、国人衆、庄屋・名主衆、郷士と呼ばれた大百姓、そして徴収された百姓衆で有る。従って、戦は農繁期を外して行われた。田畑の仕事が忙しい時は、戦どころでは無いからだ。
 秀吉に依る刀狩が徹底して行われたのは、武士と百姓を別ける為だろう。其れは江戸期に完成したと書いた。
 七人の侍の設定は戦国期なのに、江戸期の通念を当てはめて居る。巧妙なので、気付きにくい処だ。上手いですなあ。
 もしも映画の様な状況が、有り得ないが起きたとしよう。野武士団が村を襲って来る!!
 庄屋を中心に、名主衆、郷士衆、戦慣れした百姓達が集まって、防塞を築くだろう。人数が足りない様なら、近隣の村へ援助を求めるに決まって居る。それらの村も当然、野武士団の標的にな筈だからだ。
 そして、映画の様に野武士団を迎え撃ち、撃退する事だろう。うーん、これじゃあ名作が一本死んで仕舞う。従って、此の虚構も必要悪として認めるべきだ。
 最後の戦闘シーンは、黒沢明十八番の豪雨の中だ。さぞや大変な撮影だっただろう。其の甲斐有って、迫力は半端で無い。
 黒沢の三倍増と言う言葉が有るそうだ。豪雨と言われたら、普通の撮影の三倍降らし、風と言われたら三倍吹かせる。そうしなけりゃOKが出ない。
 半端じゃ無い人なんですなあ。

0 件のコメント: