2017年3月22日水曜日

どこに来た その一




 朝の光 山に満ち 春よ春よ 山の春よ と合唱組曲「蔵王」の終曲「早春」は歌い出す。素晴らしい春の訪れを歌い上げる。春が来た。嫌でも心が浮き立つは、どなたも同じ思いじゃないのかな。
 蔵王の春は勿論、雪国やアルプスの春は雪解けと共にドラマチックに訪れるのだろうが、丹沢の春は秋と同じく、ひっそりと訪れる。気がつかなければそのまま 何時までも何時までも じっとしていそうに なのだ。
 木の芽が膨らむだろうが、私が様ながさつ者は気付かない。駄目ですなあ、感性が鈍い奴は。「風は既に春だ」迄はどうにか分かるんだけどね。其れも分からなければ、昆虫以下ってこってす。
 そんながさつ者でも、三つ葉ツツジが咲き出せば、春が来たと実感出来る。 うーん、遅いですなあ。其れで分からなければ丸で馬鹿だ。確かに未だ木の芽は吹かないけど、つくしやカタクリはとっくに顔を出して居る筈だ。気付けよ! はい。
 そう、冬景色(雪ではなくて木々の有り様)の中に鮮やかな三つ葉ツツジ、此れこそ丹沢の春を象徴して居るのだ。沢の中に居ると、特に実感出来るのかも知れない。沢は芽吹きが遅いので、三つ葉ツツジが特に目立つ。
 上の写真はそうじゃ無くてすまんこってす。
 春が来ると、もうアイゼンもスパッツも要らない。其れはとても嬉しい。四月に雪が降る事も有るが、数日で消えるが常だ。尤も、蛭や檜洞丸では、残雪が有ったり無かったり、油断がならないのは当然だ。
 何度も書いた蛭から檜洞丸への下り。四月でも残雪が凍り付いて居ると思って置いた方が宜しい。慎重に下らないと痛い思いをする。痛い思いで済めばラッキーだ。雪が残って居なければ、もっとラッキーだ。
 四月ともなれば、麓は花盛り。何でも有りの豪華さだが、稜線はやっと芽吹き始めるかなあ、の世界だ。バイケイソは顔を出す。でも、春が来たと体は実感する。刺す様な寒さなんざ、もう無いんだ!

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