2016年10月25日火曜日

柄でも無い事 その五十五




 前の休題で間違えて弘法山の話をして、結果山道具の話になって、間違えてオーライに
なった。其の時、カッターシャツを買った話もした。余生短いのだから、気に入ったカッ
ターの一つも着ようじゃないかって事で。
 如何にもあたしらしく無い発想だ。作業員としか思えない恰好で山を歩いて居るのだ。
此の間なんざ、魚屋のスタイルなのだ。
 既述では有るが、お洒落だった時代も有るのだ、此れでもさあ。山スタイルに限る、で
は有るが、一丁前に恰好をつけて居たですよ。
 随分前に書いたので、もう一度ざっと書こう。断る迄も無いだろうけど、お洒落ったっ
て型通りでは無いので悪しからず。
 はねっ返った処では、Gパン地の短パンに網シャツ、其の上に赤いチョッキのみで超特
大キスリングを背負うって奴。日帰り登山の時は、サイドだけで間に合うって有様。
 これは相当に変な奴で有る。日光猿軍団の登山版かと思われる。でもですよ、本人は精
一杯洒落たつもりだったのだ。外には多分殆どこんなの無かっただろうから、ほぼオリジ
ナルと言って宜しかろう。但し夏季限定だ。
 親父のズボンを切ってでっち上げたニッカに親父のお古のウールのジャケット。そして
親父から貰った虎屋のハンチング。おまけにパイプ迄咥えて居たってえのも有った。
 二十歳そこそこの頃の事だ。結構生意気なスタイルでは有りました。割と似合って居た
と自分では思って居るのだが、人から見たらどうだかは分からない。此れは正統派スタイ
ルと言っても良かろう。
 どんどん登ってた頃は、ニッカにナーゲルにキスリング、帽子は被らずタオルを被って
居た。奥田民雄の先駆けってとこだろう。此の頃の臙脂っぽいカッターシャツがお気に入
りだったのだが、完全に擦り切れて消耗し切ったのは休題の通り。
 恰好なんざどうでも良くなったのは五十代半ばからだ。どうせバリバリ歩けなくなった
のに、恰好が何さって心境ですな。
 そして作業員スタイルが定着した訳だが、若い頃は其れなりだったって事で、柄でも無
い話で失礼しました。

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