2016年8月7日日曜日

嗚呼、中高年よ その四




 最初はどうやら(当てずっぽだが)昔山に馴染んで居た人間が、退職によって暇が出来たで、又山にでも行って見ようかな、って始まったのではなかろか。全く無根拠な推論なんだ、エッヘン。
 馬鹿を晒すのはやめとこう。取り敢えず中高年が山に戻って来た。昔ほどの圧倒的な人数では勿論無い。併し、落とす金は遥かに大きいのだ。金ならあっど、の諸君で有る。
 貧困な労働者諸君が充満して居た時代とプチブルジョアが充満した時代の差なのだね、此れがさ。その両者が同じ人達で有るのが非常に興味深い。日共本部に見解を聞きたいが、詰まらない建前論しか返って来ないだろうから、聞かない事にしようっと♪
 其の結果、北アルプスの小屋なんざ、食事が里の旅館と変わらなくなっちまって、おらあ詰まらねえだ、とは前にも嘆いた。自炊泊まりと言う登山の本義を守ってる私としては、豪華な食事を見たくもない。自分の食事より良くて腹が立つ? クソッ、そうだよ!
 何度も書いて居るが、戦後十数年の頃と今とでは、装備・技術が全く違う。テレビで比べよう。ブラウン管の白黒、映りが悪ければぶっ叩けば治った。今の液晶はぶっ叩いては駄目だ。以下略。キリがありゃせんでのおォ。
 と言う事は、遭難しても戦後なら死んでるだろう場合だって、無事に帰って来れる時代になったって事だ。
 小屋も完備され、朝夜食事つき(それも豪華なんだ!くどい?)、昼の弁当も作ってくれる。小さなリュックに高機能雨具(昔の雨具は二十分以内で水がしみ込んだのですぞ)と小さな水筒と小物と非常食と懐電とセーターと少々の着替えで、十日間以上のアルプス縦走も充分可能なのだ。
 処が其の装備を使う間も無くバタバタと二パーティが遭難した。春と夏だが、全員経験者(何人かはヒマラヤにまで行ってる)なのに、何と両パーティともに全滅で有る。
 全滅は春日氏の「山に逝ける人々」に詳しいが、愛知大山岳部の薬師岳での十三人全滅以来ではなかろうか?

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