2015年7月5日日曜日

遭難今昔 その三




I「良いか、岩を蹴ってリズミカルに下れ」
私「分かった」
 木にザイルを回して、Iが下降して行く。直ぐに声が下から掛かった。
I「垂直下降になるぞ!」
私「何だ、そりゃあ!」
I「体がぶら下がる。両足を前に揃えて伸ばせ、上手くやれよ!」
私「……分かった」
 大体懸垂下降すら初めてだ。垂直下降?考えても始まらない。成る様になる。
I「(随分下から)良し、来い」
 ハングを越えたのだから、其の下は宙に浮くに決まって居る。あとで思うとだけどね。其の時は考え及ばなかったのだ、Iも。
 で、下降し始めたらスラスラいったのが、とても目出度い。特殊部隊が懸垂下降をやって居る映像や映画を見ると、ああ、あれだな、と今では懐かしく思える。でも、垂直下降は見た事が無い。
 どうでも良い思い出話が長くなっちまった。もう一寸とお付き合い下さい。
 此の経験は、直ぐに役に立った。下降では無く攀る方だ。前述の、初冬の鹿島槍から槍ヶ岳の縦走予定が、爺ヶ岳迄になった敗退記録の時だ。赤岩尾根の最後は、巻き道で冷小屋へ出る。其の時は新雪の為、トラバースが出来なかった。
 直登しか無い。偶々、八人程のパーティが岩場を降りて来る。遅々として進まない。何やってんだか、とIと二人で待った。偉く寒かった。何本も、震え乍ら煙草を吸った。
 やがてパーティが降り切って、我々が取り付いたら、ほぼ垂直に近い岩場だった。此処を下るのは、偉く大変だろうと納得した。でも、私はあのゲレンデより遥かに楽だったので、Iのお荷物にはならずに済んだ。経験は無駄では無いって事ですなあ。
 ハングの話だった。って訳で、今では少々のハングは何でも無いって事です。昔の遭難は、そんなに良い装備も無い時代だったのだ。其れで、先鋭的なパーティ(程)がやられた。
 勿論、岩場だけなら何とか突破しただろう、殆どの場合は。でも相手は大自然だ。岩場だけでやっとの処に、悪天候が襲えば、想像するだに、恐ろしい事になる……。
 (遭難今昔 その四へ続く)

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