2015年7月11日土曜日

遭難今昔 その四





 さて、悪天候の話をしちまったからには、確りしないパーティ(失礼!)の話になって仕舞う。代表的なのは、薬師岳の十三人全滅遭難だろう。
 愛知大山岳部の冬山合宿なのに、四年生はリーダー一人のみ、あとは一年生と二年生だった。同じ日に登頂した社会人パーティは、無事に帰って来た。愛知大パーティは吹雪の中バラバラになって、全員凍死した。
 冬山は経験だ、と教えてくれる。OBや四年生が何人か加わって居たら、悲劇は避けられて居た筈だ。其の意味で、愛知大山は随分責められた。結果論なので、仕方無い。
 多分、二つ玉低気圧の所為だったと思う。随分前の話。違う季節(夏?)で、北アルプスで十人以上、南や中央でも数人の死者を出した事件が有った。幾つものパーティや単独行者が、犠牲を出して居る。随分昔だ。
 此の件も、皆バラバラになって、強い者は助かり、弱い者は犠牲になった。人を助ける余裕なぞ全く無い嵐に襲われた様だ。装備も劣悪な時代だった。
 でも、後から見れば(後から見て四ノ五の言うのは神の目線だ、とは心得て居る。神でも無いのに)パーティが助け合って居れば、助かる命も有ったのでは?
 じゃあ私ならそう行動出来たかと言うと、正直分からない。突然の天候悪化だ。雨と強風が見る見る体温を奪う。夏だと言っても三千峰だ。体感気温は氷点下に落ちる。指も利かなくなるし、頭も回らなくなるだろう。
 人間は弱いものだ。そう追い込まれると、自己保存が全てになっても不思議は無い。尤も現在の装備ならば、どうにか耐えられる筈だ。今の感覚で昔を裁くのは、愚かだ。
 其の現在の優れた装備を、生かす間も無く犠牲者を出したしたケースが、此処数年で続出して居る。全滅したパーティすら有る。皆中高年で有る。
 (遭難今昔 その五へ続く)

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