2025年12月22日月曜日

休題 その六百十三


 

 先日所用で妻と千葉へ行った。昼時だったので駅蕎麦でもどう、って訳で新宿にもあるチェーン店蕎麦屋にはいった。時間が時間だったので満員、どうにか席を見つけたですよ。

 妻の感想は「蕎麦が少ない。味が今一で天ぷらも小さい、それに出来上がりが遅い」とあたしと同評価だ。加えれば、値段も高い。詰まり、高くて少なくて不味くて遅い、ですな。これは箱根蕎麦と比べての事だ。箱根蕎麦が異常なので、他の立ち食い蕎麦は大体これで標準である。

 箱根蕎麦は殆どが、小田急の建物か小田急縁(ゆかり)の建物に入っている。系列会社なので、多分家賃も優遇されているのだろう。バッチリ家賃を取られている他のチェーン店と比べるのは、実は酷なのだ。

 妻もすっかり箱根蕎麦フアンになった様だ。他との違いが大きいからね。Yもとっくに箱根蕎麦フアンだ。先日の忘年会のTELの時も、「蕎麦は冷やしにしようかな」なぞと帰りの箱根蕎麦のメニューを口走る塩梅だ。忘年会よりも蕎麦に心が走っている。まあ、山帰りの箱根蕎麦がなくなったので、仕方ないか。

 既述だが、Y、Mと小田原で蕎麦屋に入って、結局箱根蕎麦の方が安いし美味しいとの結論になった。そうなんです、普通の蕎麦屋より美味しいんだよね。

 箱根蕎麦の宣伝じゃありませんよ、一銭も貰ってないからね。事実を述べているだけです。駅蕎麦チェーン最大で、今年で五十周年を迎えた。実績も歴史も立派なものだ。依って、それなりの努力は積み重ねて来ただろう。昔は茹でた蕎麦を並べて置いて、湯通しして出すやり方だった。いつの間にか生蕎麦を茹でて出す様になった。多分、都心のチェーン店小諸の影響だろう。そう思うと小諸の功績は大きい。今では皆生蕎麦になったもんね。

 あたしは小田急沿線に住んでいて幸いだった。さもなきゃ箱根蕎麦に出会えなかった。簡単に幸せになる奴なんですw

2025年12月19日金曜日

閑話番外 その百八十七


 

 山で強い人は、何たって良く食べるし良く眠る。Yなんざ理想的である。が、残念乍ら冷却装置に難ありで、直ぐにオーバーヒートするので、山で強い人にはなれなかった。

 あたしなんざ山に入ると食べれない。中年以降は端緒になって、夜飯はおかゆにカップワンタンに少々のパンとチーズである。朝飯は少々のパンと細身のカップ麺、それとコーヒー。よくもまあ縦走ができたものだ。おまけに眠れない。夏でも冬でも眠れない。流石に零時近くなると焦って起き、ウイスキーをがぶっとやってやっと寝れる。軽い誘眠剤を処方されてからは、随分楽になったけど。

 そうなんです、軽い睡眠障害です。単独で春山縦走なんて、やっちゃいけないのかもです。要するに山に弱い人の部類ですなあ。

 食べられないとは、即ち発熱量が少ないと言う事。体が温まらないの。特に冬山では。最初の冬山(初冬だが)はIと登った鹿島槍で、その様子は既述。書いてなかったのは、あたしはカイロを持って行った事だ。確か白金(はっきん)カイロだったかな、アルコールを燃料とする。上の写真の様な物。Iは寒がっていたがあたしはカイロのお陰で寒くなかった。二十才だったからポカポカに感じた。

 冬山を再開したのは三十才から。その十年の間に技術は大進歩を遂げていた。使い捨てカイロが登場したのだ。白金カイロでも良いんだけど、燃料を持って補充するって、面倒なんですよ。


 

 その上、オーバーミトンに入れると手が暖かい。これは凄い事で、あたしの様な手冷え症にはもの凄く有難い。手が冷たいを通り越して痛くなるのだが、それを抑えられる。これは白金カイロにはできない。

 自分で温める力が不足してる分を、便利な道具で補う。あたしが半世紀早く生まれていたら、冬や春の雪山には入れなかっただろう。思えば良い時代に山登りができた訳ですなあ。

2025年12月16日火曜日

閑話 その五百二十二


 

 前のラベル「古い山仲間」で、Yを新しい山仲間と書いたが飛んでもない勘違いだった。何と半世紀も一緒に山を歩いていたのだ。当時学生だったYも、年明け元旦に古希を迎えるんだもんねえ。

 毎年今時は忘年山行へ出掛けた。多くは堀山のシークレット幕営地でのテント泊、今じゃ夢んごたあるですよ。あたしだって怪しいものだがYは絶対無理。仕方ないので新宿の飲み屋で二人だけの忘年会です。忘年山行なんてもんは、もう存在せんのですよ(涙)。

 前にも書いたその店は喫煙自由、テーブルに灰皿が置いてある。確か法律違反だったろうが、シナ人の店員は全く気にしてない様だ。この場合はシナ人のおおらかさに感謝です。

 一服点け乍ら「テントを張って準備を整え、雪を溶かし乍らの一服は最高だなあ」との話になる。実際に至福の時と言っても過言ではないのだ。ホテルじゃ一服点けられる時代ではない。テントの中では好き放題。黄金(こがね)の御殿、と歌にあるがその通りだ。それが春山の雪上だったりして御覧なさい、周りは白い山々、王侯貴族の気分なのだ。

 戸沢出会いには車で入れる。車を降りれば即幕営地、それでも構わん、もう一度あの広いテントで暮らしたい。「町田迄テントを背負って来れるかい」と聞くと、無理だと言う。Yはびっこを引いてるんだもんね。「もう一寸と待って」と言うからには、少しは良くなる兆候でもあるのかな。当てにせずに待ちましょう。ダメ元さ。

 あたし一人で小さなテントで幕営はできる。それじゃ面白くも何ともない。Yと幕営するのが楽しいのだ。役割分担は自然と出来上がっていて、全て阿吽の呼吸で行ける。一体何回二人で幕営したのだろうか。「数えきれない」とYは言う。そうでしょうとも、あたしだって分からないもんね。

 戸沢出会いの幕営を、楽しみに待ちます。

2025年12月13日土曜日

閑話番外 その百八十六

 


 大山見晴台から東南東へ下ると日向薬師(ひなたやくし)へ出る。その裏山が日向山で400m位の低山だ。半世紀以上の丹沢歩きで二度登った事がある。高校時代と、二十年程前にS、Kと行った。その時は台風の後だったので、吹き折られた植林の枝を搔き分けて歩いた。今では頂上を林道が通っている。もう、山だか何だか分からない状態になっちまった。

 その日向山に九日に山火事が発生した。TVでも放映されたので御存じの方もいるだろう。三日間に亘って消火活動が行われた。ヘリで消火剤を散布し、近隣自治体の消防官も動員しての作業だった。やっと十二日の夕方に鎮火した。乾燥してるのでねえ。関係者の方々、本当にご苦労様でした。

 さっき、山だか何だか分からない、と書いたが林道のない昔は山だった。但し植林に覆われているので、詰まらない(失礼)山だった。高校時代はどうだっただろう。もう植林だったかも知れないが、余りに昔で忘れてもうただよ。

 日向山は大山の支尾根の末端にある。下れば七沢温泉だ。何て事ないピークだが、地図には他の山と同じ大きさで「日向山」と書かれている。何か謂れがあるかとググって見たが何もない。日向薬師からのハイキングコースとして案内がある。日向薬師が有名なのでそのおこぼれって事ですかね。

 植林が焼けたので持ち主には打撃だろう。でも、ブナ林帯が焼けたのでないのは良かった。偉く不謹慎ですね、お詫びします。

 ブナ林帯が焼けたら再生に何十年掛かる事やら。そこで暮らす小動物も行き場を失う。保水力も減少する。植林なら住める小動物は殆どいない。保水力も最初からない。紅葉もなければ鮮やかな新緑もない。

 植林に恨みはないです。働く人達には敬意を持っています。職場に着くのが登山なんだから。そして急斜面で仕事です。普通の根性ではできっこない仕事ですので。

2025年12月10日水曜日

休題 その六百十二


 

 去年公開された「シビル・ウォーアメリカ最後の日」をネットフリックスで観た。多少話題にはなったがそれ程当たりはしなかった。まあ当然でしょう、他国の内戦だし。

 何と言っても描かれるのが内戦、救いがなく虚しいと感じる人が多かったんじゃないかな。あたしもその一人である。敵から祖国を守る意識で始まったのだろうが、その敵は同国人、本来味方である人間達だ。

 新人カメラマン(若い女性)の成長も描かれるが、全く主眼ではない。ジャーナリスト達の目線だが、それはあくまで監督のカメラ目線を代弁しているだけと感じる。あたしの勝手な感覚だが、虚しさ混乱無秩序殺戮こそが主人公なのでは。無造作に(そう感じさせるのが監督の意図だろう)その素材が現れる。その意味では成功した作品だと思う。

 人の”生死与奪の権”は武器を持つものが得る。正義も法もない。武器だけがものを言う。誰も(特に日本人は)認めたくない現実を容赦なく描く。大当たりはしっこない。あたしも二度観る気なんざない。

 アメリカが内戦状態になりつつある、と言う状況下で撮影されたので話題になった。大統領選挙の年だ。確かにアメリカの分断は進んでいる。ベトナム戦争の時は世代間の断絶傾向があったが、今は考え方の断絶だ。内戦っぽくはあるが、武力衝突には行くまい。分からないけどね。もしそうなっても、カリフォルニア・テキサス連合はないでしょうが。敵同士になるんじゃないのかな。

 トランプらしき大統領が射殺されて終わるが、敵味方に何の敬意もないのが凄い。現実のアメリカにもその傾向があるのだろうか。監督はイギリス人なので、特に冷たい視線である可能性はある。

 ベテランカメラマン(女性)が恐れを感じ出し、新人が恐れを感じず進む描写は、さもありなんと変に納得した。余りお薦めはできませんなあ。

2025年12月7日日曜日

休題 その六百十一

 

 昔TVに良く出ていた早大教授が「私は見たものしか信じない」と発言していた。一応科学者なのだから、目で見たばかりでなく実証されたもの、も当然その範疇であろう。さもなくばクオークや中間子の存在も否定しなければならないから。絶対見えないもんね。

 関根東工大教授の「生命の起源を問う」と言う本がある。生命の材料のアミノ酸、核酸塩基、有機酸、ヌクレオチド等の成立過程を追及している。その過程で全生命は三つのグループに別れる事が明かされる。真核生物(人間を含む動植物や虫)、原核生物(細菌・バクテリア)、そして古細菌である。原核生物は遥か昔に細菌と古細菌に分かれ、その差は真核生物と細菌ほどに匹敵する。古細菌から真核生物は分離した、最近の事だと言う!全然知らなかった。

 それを(実験でも、採掘でも検証不能)発見したのはイリノイ大学のウーズ氏だ。時の科学者達からは「ウーズは見えないものをあるかの如く仮定している。導いたのは確率であって事実ではない」と猛烈な反発を受けた。それでも、結局1980年代に受け入れられた。関根氏は「生物学の革命があれば、ウーズこそその栄誉を受けるにふさわしい」と書く。その章の終わりをノーベル賞受賞者湯川秀樹氏の言葉で結ぶ。引用しますが、一寸と長いのでご勘弁を。

 「デモクリトスの昔はおろか、十九世紀になっても、原子の存在の直接的証明はなかった。それにもかかわらず原子から出発した科学者達の方が、原子抜きで自然現象を理解しようとした科学者達より、はるかに深くかつ広い自然認識に到着し得たのである。『実証されていない物事は一切信じない』という考え方が窮屈過ぎることは、化学の歴史に照らせば、明々白々なのである」。

 科学者にこそ豊富な想像力が必要なんでしょう。TV御用達の教授は、革命的な事を成し遂げた先人の足跡を、見た事も考えた事もなかったのでしょう。TV向けの人でしたなあ。

2025年12月4日木曜日

閑話 その五百二十一

 


 妻と一緒の登山は、結婚歴四十七年にしてはそう多くない。既述が大部分だろうが、師走なので(一体何の関係があるの?)思い出して見た。

 弘法山と高取山は多すぎるので除く、近所の公園へ行った感じに近いので。檜洞丸に二回、畔ケ丸、札掛の一ノ沢峠、鍋割山、不老山、表尾根、書作新道から三ノ塔、木ノ又南尾根(仮称)、大山、大山三峰、堂平から丹沢山、主脈縦走、丹沢の尾根歩きはこんなもんだろう。沢も幾つかあって、葛葉沢に二回、新茅ノ沢、モミソ沢、セドノ沢、大体以上だろうか。

 思えば妻も良くぞ歩けたものだ。若かったからねえ。沢も初級ばかりだが、ちゃんと登ったのだ。何せ高い所を怖がらない、あたしと真逆なもんで、こっちの方が妻の余りに無造作な動きに焦る有様、傍から見れば間抜けな夫婦そのもの。

 八ヶ岳では天狗岳、赤岳。中央アルプスの木曽駒宝剣岳。北アルプスの爺ケ岳。冬の那須朝日岳失敗。以上だと思うけど確信はない。頭の中の消しゴムが活発なのでw

 妻に聞いたって一つも答えられないんじゃないかな。人について行くってそういうもんです。「ほれ、ああいう事があった山」とか、「兎がいたとこ」と具体的に思い出させれば思い出す。

 可哀そうな思いも何度かさせた。赤岳から権現東尾根を下った時、麓の別荘地に飛び込んで方向不明でうろついた。妻は「頑張って歩いて来たのに」と半泣きになった。下りで相当参っていたから辛かったのだろう。今思い出しても胸が痛む。

 冬の檜洞丸の下りがツルツルに凍って、妻は何度も転倒した。東尾根もこれも既述です。これも今思うと、何で軽アイゼンの一つも持たなかったのかと慙愧の念ばかり。慣れない妻に凍った下りなんて、思い遣りのなさに唖然とするですよ。罪滅ぼしで、今度弘法山でも高取山でも、ゆっくり付き合いましょう。

2025年12月1日月曜日

閑話 その五百二十


 

 ここ一年で起きた遭難は全国で三千件、遭難者は三千三百人にのぼる。凄い事になってはいるが、死者・行方不明者は三百人、率で見ると8.9%で過去最低だそうだ。これは目出度い話ではある。

 が、だ、ドラマチックな遭難ではなく、何度も書いて恐縮だが、転んだり迷ったり疲れたり、何とも詰まらない事件が殆どと言う訳なのだ。例に依って不謹慎ですなあ。亡くなった人のご遺族に取っては、その原因がどうあれ非常に悲しい事なのだから。前言は取り消さずに、謹んでお詫び申し上げます。

 悪天候(含む雪崩)原因は1.2%、何と言う時代の変化だろう。昔の遭難は悪天候に依って起きたものが多かった。思いもよらない嵐や吹雪、猛烈な風に叩かれて、しかもそれが数日続き、あらゆる努力にも係わらずに力尽きる。経過を読んでいても、身につまされて涙すら浮かぶ。

 でもですよ、登山道で転んだり、植林帯で作業道に迷い込んだり、疲れて動けないから携帯で助けを呼んだり、なんともはや、もっと確りせい!と言いたい事故が中心なのだ。おらあ情けなくもなるぜ。あ、又もや不謹慎でしたね。済みません。

 無理からぬ面もある。七十代が最高で23%、六十代が18,8%、五十代が18,6%、詰まり中高年が主に事故を起こしているのだ。あたしが初めて衰えを感じたのが四十代半ば、大体皆さんもそんな感じじゃないかな。前はどんどん行けたのに、気持ちは同じでも体が付いて行けなくなった年齢の皆さんです。

 ”被害小さめ””軽い遭難”、元にしたレポートの小見出しだが、全くその通りだ。従って低山の遭難も多い。いや、低山こそ多い。

 低山でも山である。下りで転べば偉い事になる。一寸と迷い込んだだけで訳が分からなくなる。前は何ともなく歩けたのにへばった。もっと確りせい!は取り消しましょうか。