2026年8月20日木曜日

休題 その六百四十五

 


 前章に続いて橋本琴絵氏の主張を取り上げる。上の写真が本人です。

 「日本人殺害要員が日本国内に六十万人いる」(危険すぎる中国の”国防動員法”)との小見出しの内容だ。随分過激な小見出しである。しかし平成二十二年に中国は「国防動員法」を制定している。中国の国籍保持者に対して、戦争遂行上に必要な法律上の義務を定めたものだ。

 これは兵士と非戦闘員の区別をあえて曖昧にした、極めて特異な法律だと橋本氏は書く。ひとたび戦争が起きれば、「一般人」が直ちに「兵士」に変身する事を義務づけているのだ。国際慣例では許されない考えだが、ゲリラ戦を主体として来た中共軍には、自然な発想なのだろう。

第48条 この法律で国防勤務とは、軍隊の作戦を支援する任務をいう。

第49条 18歳から満60歳までの男性公民及び満18歳から満55歳までの女性公民は、国防勤務を担わねばならない、

 公民とは中国籍を持つ者を意味するから、国外の中国籍保有者にも適用される事になる。いざという時は日本に済む中国人が軍務を担う、という法律なのだ。うーん、これはヤバい法律ですなあ。妨害行為や破壊工作や情報提供、場合に依ったらゲリラ活動まで義務付けられている訳だ。電線を切る、電波中継塔を破壊するなんてえのは、比較的に容易にできる。

 国会でこの法律が取り上げられた時に外務省は、「他国の法理手でございますのでお答えすることは差し控えさせて頂きたい」と答弁している。おいおい、他国の法律だが、日本国内でも有効な法律だぞ、お答えしてくれよ! 更に「海外に住む中国人にこの法律が適用される規定はない」と言うが、そうあって欲しいとのお気持ちだろう。

 橋本氏は警鐘を鳴らしているのです。

2026年8月17日月曜日

休題 その六百四十四

 

 橋本琴絵と言う保守論客を知らなかったが、「暴走するジェンダーフリー」(異論を許さない世界)を買って初めて知った。六人の子持ちで三十七歳、ズバッと現実を指摘する人で、あたしはすっかり気に入った。

 九州大の工学部出身なので、理系独特の理論的展開をする。左派にはすっかり嫌われている様だが、そりゃそうでしょうw 左派でなくても、過激な発言の連発と捉えられるだろう。よく読めば全くその通りなのだがね。

 小見出し「海保よ、武器をとって”海警法”から国民を守れ」だって穏やかではない。だけど書いてる事は極めてまっとうだと、あたしには思われる。 

 令和三年に中国海警局の軍用船舶に対し、「外国の組織、個人に武器の使用を含むあらゆる必要な処置を取る権限」を与えた。これが改正海警法である。

 中国海警局は事実上の軍隊だが、沿岸警備隊を装っている。海保を挑発して自衛隊が出動せざるを得なくなって来たら、日本が先に軍隊を出動したと主張できるからだ。そして状況に依っては武器の使用が許されている。

 海保は武器使用に関して世界的に見ても常軌を逸した制限がある。武器使用基準は警察官職務執行法第七条に依る。相手が銃犯罪に相当するか、正当防衛或いは緊急避難に該当する場合にしか武器使用はできない。この法律の定める”犯人”は重機関銃や対艦ミサイルで武装してるなぞとは想定してない。

 詰まり、相手から攻撃を受けなければ反撃できない。犯人の基本的人権を守るので、防衛は最小限に留めなければならない。そうでなければ、過剰防衛として罪に問われる。一体何じゃ、海保の手足を縛るだけのものじゃないか。相手は好きに(に近い)撃っても良いのに、これでは先ずは何人か海保隊員に死んでくれって言ってるのと同じだ。憲法改正しないでも、海保法は改正できるでしょう。

 議員の皆さん、何とかして下さいよ。 

2026年8月14日金曜日

閑話 その五百四十七

 


 東京は毎日雨だ。昨夜は千葉に線上降雨帯が発生して、何人もの方が亡くなり、一万人の帰宅の足が奪われたと言う。気象の劇症化は世界的規模の様だ。

 裏日本(と言ってはいけないみたい)では好天が続く。狭い日本なのに、気象の違いは鮮やかである。その好天の中、次女夫婦は北アルプスを歩いている。室堂から入って一ノ越から薬師岳へ歩き、太郎兵衛平から折立へ下るのだ。どこで泊まるかは聞き忘れた。

 この逆コースは、あたしがアルプスでの初めての単独コースだ。違いは室堂へ出ずに、一ノ越から雄山をピストンし、その侭黒部第四ダムへ下った事だ。

 その時初めて富山に行ったが、当時(あたしが三十代)は名古屋から高山線で行くしかなかった。着いたら地鉄に乗り換える。地鉄って何だ? 他の登山者に着いて行ったですよ。何とかバスに乗れて折立には着いた。思えば相当緊張していた事だろう。

 お陰様で天気には恵まれて、雄大な薬師岳(本当に大きな山)を越えて一ノ越へ着いた。どこで泊まったかと考えたが思い出せない。一ノ越の小屋に泊まった事だけは確かだ。翌朝雄山で御来光を迎えた事は、はっきりと覚えている。後立の稜線からの御来光だった。

 ダメですなあ。既述だが、五年前位迄は山の記憶だけは鮮明だった。どこから入ってどこに泊まってどこへ下った、天気はああだった。記録なんて不要だった。それが失敗でした。今じゃ思い出したくても思い出せんですよ。記録もないから、頼りは写真アルバムの裏書のみ。それがない山行は存在しない事になった。衰えを考えてなかった罰でしょう。

 上の写真は人様の撮った薬師岳。次女夫婦は好天の中薬師岳を目指しているのだ。ここ数日は東京も涼しいが、アルプスの稜線は涼しいなんてもんじゃない快適さ。テントの夜も寒い程だろう。羨ましいですよ。