2026年10月10日土曜日

閑話番外 その二百三

 


 高山は秋山真っ盛り、中腹は紅葉(或いは黄葉)で彩られている事だろう。実際に目にすると、オー!と声が出るものだ。森林限界を越えた所では草が色付く。山全体が色付くので、うっとりと見てしまう。

 それは中年迄で、六十代後半ともなると、色付いた稜線を見上げて「さあ、大変だぞ、ゆっくりと行くしかない」と覚悟を決めるのであって、”うっとり”なんぞはできない。周りが見事な黄葉であっても、唯歩くのみでその美しさを愛でるなんて、ないないw

 それでも秋山は好きである(あった?今は行けないので)。バテていても、休憩時には景色が名映る。ぼんやり乍らも、綺麗だなとは思う。特に快晴の時はね。神経の殆どは先の行程に捕らわれてるんだけどね、歳は取りたくないものです。

 燕岳へ登る途中で、黄葉の林の上に稜線が見えた。その稜線は新雪に輝いていた。あれは四十代初めかな、純粋に綺麗さに息を飲んだ。先の心配をしないというのは、素直に景色を楽しめるのだ。年寄は景色を楽しむのも難しいのですぞ。恐ろしいでしょうが。

 丹沢も稜線は黄葉が始まっているだろう。未だ、カマドを中心の一部だろうけど。カマドは赤いが、丹沢に紅葉は殆どない。黄色なのだ。それが渋くてあたしは好きだけどね。

 そう言えばアルプスでも紅葉の記憶がない。あったかも知れないが、覚えているのは一面の黄葉ばかり。丹沢と同じ事だったのか。違いはアルプスのスケールの大きさだ。視界一面黄葉で埋まる。丹沢ではそうは行きませんなあ。山の大きさが違うのでね。

 上越の山は春専門だから雪景色だけだが、一回だけ秋に歩いた。谷川岳から平標迄だ。樹木はないが草が色付き、綺麗な秋の山でした。あと夏に一回行ったか、上越国境線は春ばかりと言っても良いですな。

 さてさて、今は弘法山の黄葉しか見られなくなりましたよw

2026年10月7日水曜日

閑話 その五百五十四

 


 今月三日(土)に三人が遭難死した。秋山を楽しんでいただろうに、痛ましい事故である。三件共登山道からの滑落と見られており、皆六十代の男性であった。ご冥福を祈ります。

 北アルプスの赤岩岳で二人パーティの一人が滑落した。赤岩岳とは表銀座の大天井と西岳の間のピークだ。特に危険な所ではないが、アルプスの稜線歩きで滑落は、即座に命に関わる事が多いのだ、左右切れ落ちている場所が殆どと思っても良い位なのだ。

 同行者がいたので連絡、ヘリで搬送されたが死亡が確認された。滑落されたら同行者にはどうしようもない。あっ、と言う間なのだ。

 同じ北アルプスの餓鬼岳では、先月二十八日に入山して行方が分からなくなっていた人の遺体が発見された。餓鬼岳は燕岳の北へ伸びる稜線にあり、割とマイナーなコースだ。あたしは行った事がない。発見場所は”剣ズリ”と呼ばれる地点から100m下だった。ネットで見ると岩場のトラバースが続く、名前通りの厭な所だった。いかにも落ち易いだろうなあ、と思う場所だ。

 予定を過ぎても帰って来ないので、家族が捜索願を出していたと言う。本来なら元気に「ただいま」と帰って来るだろうに、帰らない人の御家族はどんなに辛い事だろう。

 南アルプスの仙丈岳で、登山者が滑落して行く男性を見て連絡をした。小屋の管理人が捜索に出たと言うのだから、仙丈小屋だろう。小屋番も楽ではない。要請があれば救助に飛び出なければならない。たとえ嵐の中でもだ。

 小屋の近くの藪沢カール付近で発見し、ヘリで搬送したが死亡が確認された。上の写真が仙丈小屋。上は緩やかに広い尾根なのだが、たまに巻き道もあるので、事故現場はそこいらだろうか。

 天候が悪い訳でもないのに、三ヶ所で三人が亡くなってしまった。本来は清々しい秋山なのに。山は事故と隣り合わせなんです。

2026年10月4日日曜日

休題 その六百五十二

 

 別の章で橋本琴絵氏の本を取り上げた。彼女の本を見つけて購入した。題が「日本は核武装せよ!」、『被ばく三世だから言う』とのサブタイトルだ。一昔前なら本屋に置いて貰えなかったかもですな。

 「非核を貫くという信念と、日本も核抑止力を持つ、という物理的事実の対立軸は、宗教と科学である」、と橋本氏は言い切る。続けて「宗教とはあくまで”思想”であり形はない、科学とは物理的事実である。問題は”日本に再度核攻撃をさせない”という目的を実現するにあたって、宗教と科学という全く異なるアプローチのどちらが、国益に資するのかという判断が重要である」と書く。

 長くなるが更に引用すると「言うまでもなく、宗教とは同じ信仰心を共有するコミュニティあいだでのみ効力を持ち、科学とは人であろうと動物であろうと無制限に効力を持つ。つまり、日本人が非核を唱えても、核兵器を持つ近隣国の為政者がそのその観念を信仰しない限り、なにも意味はない。しかし、科学であれば、”日本を核攻撃したら自分も核攻撃される”という現実は当然、近隣の為政者と共有できる認識となる」。

 リアルに現実と向かい合った文章だ。具体例を上げているが、要約しよう。前の大戦の台湾沖海戦で海軍は大戦果を発表したが、実際は米海軍はほぼ無傷、その戦果を元にルソン島から兵団をレイテに送り、フィリッピンの防衛を破壊した。客観的根拠ではなく、感情や期待という主観的観念論で作戦を実行し敗北した。現在の皮革原則とは”白旗を挙げれば攻撃されない”という期待や感情であり、日本はあの戦争を全く反省していない、と。

 全く同意である。相手が聞く耳を持たないで核武装を推進しているのに、日本が核をなくせと幾ら叫んでも、せせら笑われるだけだ。

現に核兵器を放棄した国はない(南アフリカは別、訳は前に書いた)。一読に値する本です。