やっと弘法山を歩いてる爺さんが、さて、初めて弘法山に行ったのは何時だったかと考えた。何と、高校時代に音楽部の諸君を連れて行ったのを思い出した。自分も一回も行った事がないルートに、十数人を案内した訳だ。
鶴巻温泉から歩き出したから、案内書に従ったのだ。OBも一人か二人参加していた。途中の様子は全く記憶に御座いません、六十年以上も前の話だもんねえ。
弘法山通過も記憶の外。権現山は覚えている。突然景色が見通せたのと、広い山頂が印象に残ったのだろう。勿論、展望台はなかった。その代わりにブランコがあったw 当時から公園扱いだったのだろう。今みたいに近く迄車道は通っていなかったから、着くのに結構大変な公園ではあったのだ。
思い出すに、あたしゃあ登山ナイフを腰に下げていた。登山ナイフって今は使わない言葉ですね。ランボーナイフをうんと小さくして、皮のケースに収めたものだ。ランボーナイフって何? 映画「ランボー」を見ろ!
何で弘法山で登山ナイフが必要なんでしょうね。バカなガキが恰好つけてたんですな。恰好もつかないのに、何やってたんだか。今なら絶対”危ない奴”扱いですな、警官に不審尋問されるかもねw
高校生の、それも女の子が多いグループには丁度良いハイクコースだったかも知れない。今程道は整備されていなかっただろうが、丹沢の低山として案内書には必ず載っていた。従って、或る程度は道も確りしていて、道標もあったと思う。
他の低山は、昭和四十六年版山渓の「丹沢」では、中津渓谷(今は宮ケ瀬湖の下)、渋沢丘陵、札掛から物見峠、大野山、高松山である。仏果山・華厳山なんか凄い藪山だったし、白山コースも拓かれてなかったのだろう。
かくも弘法山コースは由緒正しいルートなのだ。一生懸命参りましょう。

