2026年9月13日日曜日

休題 その六百四十九

 

 昨日、一昨日のこの愚ログの閲覧ページ数を見て驚いた。何と、3千件越えなのだ! 千件越えで驚いた事は何度かあったが、3千件越えは流石にない。どの国かと検索したらドイツだった。駐在員が読んでくれたのだろう。でも、三千頁以上を一日でって、相当な分量だろに有り難うございます。

 思えば十八年もこの愚ログを続けている。山に行けない身になっても山のブログを書くって、一体何なんだろうとは思うが、最早ボケ防止の一環になってもうただよ。それでもボケは止まらないのが悲しいw

 最初から去年迄、閲覧ページは一日に五から六、多くても十一寸とで推移した。絶海の孤島と自称する由縁である。何たって個人的なものだし、大して面白くもない上に、推敲もしないで書き殴ってんだもんねえ、僅少な読者には心より感謝申し上げます。

 それが、既述だが去年から何百頁の日が出て来た。そのうちに千頁をも越える日も現れた。何だ、どうしたんだ!と驚き慌てた。そして今回の三千頁越えである。

 元は本にするつもりの”本文”と称する部分のみだった。それだと直ぐに終わってしまう。それで閑話だ休題だと、本文と関係ない駄文を挟む様になった。本文も何章も書き加えた。本文はあと二、三章しか残っていない。それをアップすると終わってもうて、ボケ防止の手段を失う。それは拙いので、結局閑話と休題中心の愚ログに成り果てたのだ。

 ダーッと読んでくれる人は、多分本文を読んでくれるのだろう。そのうちに訳の分からん駄文ばかりなってあきれるのだろう、と推測しているが、多分当たりでしょう。

 今日は沖縄県知事選なのでそれについて書こうかと思ったが、結果が出てからで良いやと愚ログの事にした。政治関係は神経を使うので、あたしが様な無精者には結構大変なのだ。どうでも良い事が一番書き易いのです。あ、そうやって楽ばかり追うからボウ防止にならないんだw

2026年9月10日木曜日

閑話 その五百五十

 


 自分が山に登れなくなったからって、人様の遭難を書くのも何だけど、最近やけに外国人の遭難が目に付くので書きました。

 山渓オンラインの記事で、対象は六月下旬から七月下旬の一ヶ月だけだ。日本人にも多くの遭難者があるが、外国人の事故だけを拾い出してみた。

 先ずは上の写真の白馬大雪渓、七月十二日にアジア国籍の女性三人が疲労で動けなくなり、救助隊によって山小屋へ収容された。が、十四日に再び救助要請、ヘリで救出された。二人が転倒で傷を負っており下山不能だった。

 六月二十四日、小雪渓でタイ国籍の七人が道迷い(変な言葉)で救助要請、救助される。

 七月六日、シンガポール籍の男性が、槍沢で雪の為に動けなくなり救助される。

 六月二十六日(日付があちこちでスマソ)、南アルプスの北岳でアジア国籍の男子学生二人が十二時から入山(!)、悪天候と疲労で動けなくなり、二十一時三十分に救助要請、救助された。何で悪天候の中、昼から登り始めるんだ?日本の山を知らないから。

 七月六日、夜叉神峠から鳳凰に向かった韓国人七人の一人が滑落、手足を骨折し救助された。あのコースのどこで滑落するんだろう?でも、どこにでも滑落の危険はある。

 七月二十一日、スイス籍の男性が富士山新七合目の小屋で意識不明になり、搬送先の病院で死亡が確認された。

 富士山では外国人の遭難が多発しているが、このレポートではこの一件だけだ。スイス人なので山は(多分)知っていただろう。突然の発病ではないだろうか。

 一ヶ月だけのレポートだが、外国人の事故は六件になる。勿論日本人の事故は倍以上あるが、事故率を見れば外国人が圧倒的に高い。

 アジア籍が殆どなので、高山登山に無知が原因と推測される。全く雪にも慣れていないだろう。日本人も含めて救助有料化を考えるべき。

2026年9月7日月曜日

閑話番外 その二百一

 


 古いアルバム(現像した時に写真やがくれるやつ)を取り出したら、正月の千丈岳だった。あたしの記憶では冬の千丈岳は一回だけ、それも深いガスで、唯々風に吹かれただけだった。処がですよ、快晴だったのだ。北沢峠にツェルトを張った、とある。詰まり二回登っていて、最初の方ってこってす、昭和五十五年だから、四十三年前の話なのだ。

 全く、綺麗さっぱり忘れていた、快晴なのにね。写真は巧くない。今だって下手だが、もっと下手だ。折角の素材が生かされていない。バカチョンだから見た侭なんだけど。

 ヤッケとオーバーズボンは黄色のコットン、マナスル登山隊と同じ装備だ。ロングスパッツはナイロン製らしい、そして青い出目帽を帽子として被っている。手袋は黒に黄色い柄の入った懐かしい奴。オーバーミトンを着けていないから風は弱かったのだろう。絶好の冬山じゃないですか!それを忘れるなんて。

 上の写真と同じアングルの写真があるが、データーにできないので、人様のをお借りしたです。こう見ると、望遠は必需品ですなあ。山も引き寄せないと遠い風景になってしまう。当時一眼レフを持っていたらまともな写真が撮れただろうか。矢張り下手な写真になってたでしょう。年月掛けて撮り方を自然と学んで来たって事ですかね。

 十二月三十日に帰省バスで伊那着。一番バスを待った。ん、これだけは覚えている、立って待つのが凄く寒かった。三十一日に北沢峠へ登り、元旦にアタック。二日に戸台へ下山だが、この日は降雪とある。ラッキーでした。一日降雪がずれれば、アタック不能だった。いくら若くても降雪の中3000mのピークは目指さないだろう、風も出ただろうし。いや分かったもんじゃない。折角来たんだからと思ったかもですよ。うんと若かったから。

 記憶の間に畳まれた山行記録がひょっこり出て来た。思いもよらなかった事でした。