2026年4月9日木曜日

閑話 その五百三十三

 


 次女夫婦が白髪門から巻機山へ縦走したとは書いた。先月二十八(土)二十九(日)だ。写真をラインで妻に送ってくれたが、妻のスマホがいかれていて、あたしのPCに転送できない。上の写真は他人の物を拝借です。

 前夜に土合へレンタカーで入り、仮眠して白髪門へ取り付いた。帰りは清水部落から六日町へ出てJRで土合へ、車で帰京であった。

 あたしは清水部落から謙信尾根で清水峠へ登り、ジャンクションから縦走路に入ったもんだ。雪の林道歩きが長くてしんどいから、次女夫婦のコースがベストだろう。

 二日共好天だったそうで目出度い。前後したのは二パーティ、擦れ違ったのは一パーティだ。あたしの時は巻機山の登り迄誰もいない。雪山独占であった。時代の差ですなあ、昔はそんな所には余程の好き者しか入らなかった。依って、トレースはバッチリでラッセルの苦労はなしとの事。

 幕営は広い山頂だったと言うから檜倉山だろう。池塘は雪の下だった筈だ。あたしの時は五月だったので、池塘は清冽な雪解け水で満々だった。この上ないキャンプ地だった。

 「最高に綺麗な縦走だったよ」と言う。そうでしょうとも、天気さえ良ければ危険な所もないし、雪山が連なって巻機山へ至る。周りも打ち続く雪山が輝く。誰が行ってもそう言うに決まっている。尤もバリエーションには違いないのだから誰でも行ける訳ではない。って考えは古いのかなあ。ググって見るとそのルートの報告であふれてるんだもんねえ。装備の飛躍的改良のお陰ですな。

 巻機山にはスキーヤ―が大勢いたそうだ。そこは昔と一緒。巻機山からはこれから先の上越国境線、そして平ヶ岳、越後三山、今来た上越国境と谷川連峰とその先に伸びる国境線、遠くに会津の山々と、白銀の山大会だ。さぞや嬉しかった事だろう。

 あたしはもう行けませんね。羨ましい限りです。

2026年4月6日月曜日

閑話番外 その百九十四

 


 ラベル「上越国境稜線」で二十年以上掛けて上越国境を98%歩いた話を書いた。残った2%は景鶴山で、尾瀬に着けばOKと決めていたのでそれで宜しいのだ。

 最大難関区間が大水上山から尾瀬で、山中四泊を掛けた。あたしが五十九才の時だから、同行のYは五十一才、今年が最後のチャンスだから行くぞ、と強行したのだ。そしてそれは正しかった。もう二つ三つ年を取っていたら、四泊では歩き通せなかっただろう。その時ですら最後の鳩待峠への僅かな登りで、Yは息も絶え絶えの有様だったのだから。

 兎に角荷物は減らせ、不要な物は一切持つな、ランタンなんていらん、ローソクで充分だ。灰皿の瓶もいらん、携帯灰皿で良い。酒もウイスキーだ、チュー缶は一日一本だ! と、全力で荷を軽くしたですよ。

 「上越国境稜線」ではあっさりと全体像を書いているが、長丁場なので結構色々面白い事もあった。大水上山からの灌木便りの下り(物凄く急で、トラバースをし乍らなの)でYはサングラスを枝に弾き飛ばされた。普通は好天の雪山でサングラスがなければ目をやられる。幸いな事にYは目が細い。更に目を細めて事なきを得た。エスキモーがスリットをサングラス代わりにするあれである。

 山中二泊目は偽藤原山だった。頂上は狭く笹が出ている。後は緩い雪の斜面だ。斜面にテントを張ろうとするとYは笹の上が良いと言う。斜面は不安だったのだろう。結局笹の上のテント、ゆさゆさするあれである。生活し辛い事この上なしだ。鍋は常に手で持っていなければならない。動く時も声を掛け合って気を付ける。全くもう。。。。。

 とか言い乍らも楽しい我が家である。天気には恵まれているし、風も大して吹かない。天気が崩れれば動けなくなる。少々の不自由が何さ、なんですよ。雪山に囲まれてのテント生活の日々、天国でしたなあ。

2026年4月3日金曜日

閑話 その五百三十二


 

 雨が続いたが今日は快晴、弘法山ルートに行って来ました。好天の上に桜の盛り、皆さん狙いは同じで山道に掛かる迄に十人程抜いた。単独は二人だけでグループが多い。

 山道に入ったら行列、休日のバカ尾根状態である。一つグループを抜くと直ぐ次のグループについてしまう。カーブで抜くか、気付いてくれて道を譲ってくれる。そんなかんやで思う様に進めない。

  権現山頂上も人が一杯。

 

 

 桜の上は青空だ。


 

 弘法山へ向かう道も人人人。


 

 弘法山も人が多かったが、その先へ進む人は、そうねえ、二十分の一以下だろうか。塔から先へ進む人がガクッと減るのと同じだ。スケールは桁違いだけどねw

 下りに掛かっても数パーティを抜く。弘法山ルートでは、あたしゃ無双状態だ。里山で何言ってんだなんだけど、スズキ自動車方式ですな。日本や大きな国では勝負にならないから、小国でNo.1になる。それをハンガリーでやり遂げた。一国でNo.1になる、それは社員の誇りにも自信にもなる訳だ。今じゃ大国インドでもNo.1になった。逸早く脱シナ脱アメリカに踏み切ったのは凄い。

 弘法山を越えると桜はなく、新緑である。


 

 暫くで四十才位のガッチリした男性に抜かれた。見る見る離される。スズキ自動車方式はあっけなく消え去った。体力が違い過ぎる、現役は強いですなあ。あたしも昔はああだったのだ。いまじゃあ、オンボロボーローロー

 四十代と思われる十人以上のパーティと擦れ違った。こちらの諸君はのんびりと歩いている。しかし、あの大パーティは何だったのだろう? 何かなんでしょうよ。

 前後するパーティがいないので歩が進む。No.1は逃したがNo.2でも良しとしましょう。こうして歩けるだけでも見っけもんだ。一時は悪化した喘息も収まったってこってす。

2026年3月31日火曜日

休題 その六百二十七


 

 この土日で次女夫婦が朝日岳ジャンクションから巻機山への縦走をした。天気は良くて最高の縦走だったとの事で、写真を送って来たら書くつもりだったが来ない。日曜遅くに帰宅して、翌日は仕事なんだから仕方ない。で、外の話にします。

 殺傷能力のある武器を日本は輸出できなかった。その縛りの為に自衛隊のみで使う武器を造って来た。依って単価は異様に高価になった。メーカーは利潤が薄くて大変なので、防衛産業から離脱する所も出て来た。

 その縛りを緩め、準同盟関係の国には兵器の輸出も可と改めた。早速オーストラリアへもがみ型をベースにした護衛艦の輸出が決まった。上の写真がもがみ型。

 武器を共有するのは、共に作戦や演習をするにも都合が甚だしく宜しい。武器を買うにはアメリカ、次いでフランス、シナ、ドイツだったが、その一角に日本が食い込むかも知れない。武器が売れれば単価が下がるだけではなく、各国よりの不具合の指摘で改良が進む。メンテで行き来が生じてより関係は緊密になる。そして武器の多くはシナ製より能力が上だろうから、間接的に日本の安全に寄与する。悪い事なぞない。

 最近の世論調査では、殺傷能力のある武器輸出に反対が58,5%、賛成が38,6%だった。武器商人を嫌う気持ちは分かるが、日本が売らなくとも他国が売る。だったら、共にシナに対抗する自由主義国には販売するべきだ。戦法はどんどん変わっている。日本がパラバゴス化しない為にも必要なのでは。

 ウクライナにも武器を贈るべきだ。実戦の真っ只中ですぞ、ウクライナも非常に望んでいるし、武器の優劣が一発で分かる。改良点も明白になる。双方に取って良い話ではないか。大平原だから90戦車は絶対活躍所だろう。四十両位渡せないものだろうか。対空ミサイルや対戦車ミサイルも。この侭では宝の持ち腐れですぞ。