2026年10月1日木曜日

閑話 その五百五十三

 

 偉く昔の写真が出て来た。日付がないが、あたしが二十七、八歳の頃のものだろう。半世紀前の遺物ですな。

 Em、Yn、Yとあたしだ。皆さん余りに若くて思わず見直した。Yだって髪の毛が黒々としているし、Ynだって細身の青年である。今じゃどこのヤクザだと思われる風貌(失礼)なのにね。余り変化がないのがEm、若い頃から老け気味(失礼)だったので、歳を食っても変わらないのだ。あたしも若い、今とは全く違うですよ。

 どこかに書いたが、加入道で幕営した時の写真だ。白石峠経由で登って頂上でテントを張った。今は山頂に色々あってテントを張る場所もないが、昔は唯のピークだった。避難小屋もあるが、同宿舎がいると厭なので幕営にした。上の写真がその避難小屋。

 話はそのテントですよ。通販(当時もあったのですなあ)で買ったフランス製の、五、六人用のものなので、凄く広いの。”エアライズ3”よっか二回りも広い。大きなパーティが使用する大きさであった。

 材質がナイロン、綿布じゃないので軽い。張り綱もナイロンを撚ったもので軽い。ポールを立てる屋根型だから、張るのは一寸と手間だが、当時のテントは皆そうだった。如何にも安っぽい造りだったが軽くて良いやあ。

 あたしはキスリングYは背負子で、荷物は二人で持った。あとの二人は小さなリュックだ。水も担ぎあげたのだが、若かったので何でもない。半世紀前なんだもんねえ。

 テントの中の写真もある。全体が黄色くなるのはテントの色なので仕方ない。天井が高いので窮屈さを全く感じない。屋根型と言っても立ち上げ部分があるので、背が高いのだ。家形とも言えるだろう。

 風がある稜線では張れないだろう。今のテントは風に強い造りだ。屋根型じゃ潰されるか飛ばされる。飛ばされても床と一体じゃないので人は無事。昔のテントも悪い事ばかりじゃないですなあ。

2026年9月28日月曜日

休題 その六百五十一

 


 ラベルは「井上尚弥」だが、弟の井上拓真の事です。昨日、那須川天心と二度目の対戦が行われた、あたしは早寝なので、今朝ユーチューブで観戦した。一度目は拓真選手の勝ち、それぞれが一戦を挟んで再戦だった。十ヵ月振りになる。

 あたしが様なド素人が見ても、二人共速過ぎて動きが分からない。そのうちスローを入れた解説動画が上がるだろうから、それで分かるしかないですな。情けない爺さんですw

 元世界チャンピオン達がどっと感想をアップした。それを見ると通常に拓真チャンプが勝っているという意見が殆どだ。スピードもテクニックも圧倒していると言う。速さが売りの天心選手が遅く見えた程だ、と。

 唯一つの番狂わせが、7ラウンドにワンツーをモロに食って拓真チャンプがダウンした事。高度な攻め合いが終わった瞬間、拓真チャンプはフと笑顔になった。とたんにパンチを叩きこまれた。一瞬の油断だと指摘されている。そこが兄に及ばない処かなあ。これで流れが変わるかと皆思ったそうだ。処が至極冷静に残り時間を捌いて、反撃までしたのだから天心選手が付け入る隙はなかったって事。

 その後のラウンドはチャンプが押し続けて、判定勝ちって結果だ。天心選手は泣き乍らの退場となった。気の毒ではあるが勝負の世界、続けて負ける時もある。

 問題なのは後のインタビューが醜悪極まりなかった事。「負けた気はしていない」「勝っていると思ってた」「(試合には勝ったが)ボクシングで負けた」。最期の台詞のカッコはあたしの想像を書いた。

 ボクシングの試合だろう?ボクシングで勝たないで、一体何で勝つんだ? 敗因を考えていない。ダウンを取ったのに何故負けた、との恨み節だ。ダウンを取ったのに何故勝てなかった、と考えなけりゃ明日はない。並みのボクサーじゃないのだ、負けを認めて初めて次のステップへ進めるのですぞ。

2026年9月25日金曜日

閑話番外 その二百二

 


 昔のアルバム(写真屋が現像してくれる奴)を久し振りに見たら、何とシダンゴ山から玄倉へ歩いたのが出て来た。シダンゴ山に初めて登ったのは四十五歳位の時で、付近周遊と思っていたが、四十歳の時に秦野峠へ出て伊勢沢ノ頭へ登り、東北の尾根を山神峠を通過して玄倉林道へ下っていたのだ。

 全く記憶になかった。それにしても変なコースである。尤も変な所を歩くのが当時の趣味だったのだからこんなもんか。シダンゴ山から秦野峠へはどうにか路を拾えたらしい。峠から伊勢沢ノ頭が藪漕ぎで苦労した、となっている。一面の茅との写真があるので、茅と漕ぎだったのだろう。当時の雨山山稜は茅とで、路も不明瞭だった。

 伊勢沢ノ頭からの尾根は、今の地図でも破線コースで危険マーク付きだが、当時も破線だったと記憶している。そんなとこ一体誰が通るんだ?あたしみたいな変な奴かなw まともな人なら、そんなコースに用はない筈だ。昔から荒れたルートなんだしね。

 案の定、山神峠から林道間は荒廃していたとある。崩壊箇所を巻くのは意外と大変なのだ。ロープ一本張ってある訳もなく(当たり前だ、変なルートなんだから)、結構冷や冷やさせられる。まあ、若かったから何て事なかっただろうが、今だったら大苦労する。その前に行けないか。

 数年前にシダンゴ山から高松山へ歩いて、これでシダンゴ山と秦野峠へトレースができたと思っていたが、とっくにトレース済だった訳だ。山の記憶は完璧、と思っていた時でさえ落ちている記憶がある。前の冬の千丈岳と同じです。今じゃどうなってるやら。

 玄倉でバスを一時間待ってる間に、リュックの中迄冷え切った、とある。三月の事だから無理もない。玄倉のバス停には飲み屋もないし、あれば一杯やってられるんだけどね。

 改めて変な路を繋いでいるのに我ながら驚いたです。