2026年8月5日水曜日

休題 その六百四十二


 

 「マイケル」を昨日妻と観た。封切してから大分経ったので、もう空いていると思ったが当たり、五分の一の入りで日に二回しか上映していなかった。感想を読むと賛否両論、明るい部分のみ描かれているのが不服な人が多かった様だ。

 映画館で観なけりゃ勿体ないとの感想通り、コンサートシーンは圧巻であった。あれをTVで観ても迫力は激減するだろう。マイケルを演じたのはかれの甥、血筋だろう、声が実に似ている。マイケルは歌手ではない。歌うダンサーかな。その動きも見事に再現されていた。凄い練習をしたんでしょう。

 不評の中に、ドラマ性が薄いと言うのが幾つもあったが、スーパースター誕生劇と思えば問題ない。現に、もう彼程のスーパースターは生まれないだろうから。

 口直しにマイケルの歌を一時間以上見直した、と言う感想もあった。分かる、マイケルの歌と踊りを見事に再現しても、マイケルではないのだ。マイケルが如何に魅力に溢れていたかを痛感させられた。

 と言っても映画が落ちる、とは思えなかった。最後のコンサートが終わった場面で、妻は拍手をしていた。「皆静かにしてるのね、ブラボーって叫びたかった」と妻は言う。インド映画のノリだったら、館内が歓声に包まれていた筈だ。

 コンサートも良いけど、あたしは”今夜はビートイット”の練習場面に掴まれた。夜に急遽集められたダンサー達にあの振付をする場面だ。「一寸と足りないな、ジャケットを」と言い、回り乍らジャケットを一寸と外して決める、ダンサー達が「良いね!」と叫ぶ。そう言う場面がやけに好きなんですよ。

 ジャクソン5時代からだから、マイケルが八歳の時を演じる子役、何と歌も踊りも巧いんだ!アメリカにはエンタメの才能が溢れているのか。観る方は是非とも映画館でどうぞ。

2026年8月2日日曜日

休題 その六百四十一

 


 今月1日、沖縄辺野古で「新基地反対」「玉城デニー知事当選」の集会を開いた。主催者発表で、五百九十人参加とある。集会は好きに開いて構わないが、「ヘリ基地反対協議会はこれからずっと静かにしないで、どんどん活躍して欲しい」と訴えたが、それは違うのじゃないかい? 死亡事故を起こして責任追及されようとしているのだ、一言位遺憾の意を表すべきだろう。

 尤もこの”オール沖縄”は以前にもガードマンの死亡事故を起こしているが、「新基地建設がなければ事故もなかった」と嘯いている輩なので、まともな対応は無理でしょうね。御存じだろうけど書いておくが、新基地建設ではなく辺野古基地拡張である。

 米軍基地と自衛隊にはやけにキツく当たるが、シナが尖閣付近で我が物顔で振る舞い、沖縄の漁船も蹴散らしている事には華麗にスルーする。誰の為の活動かは、余りにも分かり易いじゃないの。一日に掲げられたスローガンには「琉球独立」もあった。誰が独立を望んでいる?シナに決まってるでしょう。独立した琉球国は、事実上シナの植民地になるしかない。

 尖閣に圧を掛け続けている本命は、沖縄を奪う事にあるとあたしは見ている。遠大な構想だが、沖縄内に工作を仕掛け独立派が力を得たら、可能性はゼロではない、と踏んでいるのだろう。

 尖閣は片手間で圧を掛ければ良い。軍人も船も飛行機もたっぷりある。日本が対応に疲れるのを待てば宜しい。無理に尖閣で事を起こせば、新型護衛艦やF35や新型対艦ミサイルや未だ実験段階のレールガン等で充実して来た自衛隊に痛い目を見るかも知れないから。詰まり、抑止力が高まって来たってこってす。

 辺野古基地拡張が終われば、普天間の危険は去り騒ぐ理由を失う。そして日本の抑止力が高まると困る連中の集会だったのですなあ。

2026年7月30日木曜日

閑話番外 その二百

 


 写真の詰め込まれている段ボールを開けて、写真や屋がプリントしてくれる、フィルム一本分のアルバムを取り出した。昭和六十年九月十三日から十五日の記録だった。約四十一年前の話だ。あたしは三十八歳ですな。

 十三日梓一号で白馬に入り、その日は八方尾根で唐松岳へ登り幕営、我一人とある。今では幕営にも予約が必要、一つしかテントが張られないなんてお盆の最中なのに、本当に昔です。

 十四日は快晴、テントに碓氷が張る、とあるので相当冷えたのだ。その記憶はある。ポールにも氷が付いてましたなあ。快晴の稜線をキスリングを背に、五龍岳を越えて八峰キレットを通過、鹿島槍に登って冷(つべた)のキャンプ場で幕営、とある。うん、思い出した、とても長かった。冷に着いたら座り込んだ。当時の装備は重かったから、20Kgは超えてただろう。若さです。

 当時のバカチョンカメラでも、快晴のアルプスならそれなりの写真にはなっている。そんな時は誰でも立派なカメラマン、天候次第って事です。ネガを妻が処分してしまったので、ここでお見せできない。上の写真は人様のものです(ペコリ)。

 稜線には時々ガスが掛かるが、下界は雲海の下だ。懐かしい臙脂のカッター姿である。稜線の写真にも、山頂の写真にも人影はない。まさかあたし一人って訳じゃないだろうが、兎に角登山者が少なくなった時期だったんですなあ。今なら大行列だろう。

 十五日は天候悪化の兆しありで、爺ヶ岳を越えて扇沢へ下った。青空は消えて雲が一面に広がっており、山々は雲と雲海に挟まれて姿を現している。遠く穂高が見えるのは、爺からの写真だろう。

 帰りの車中では早くも脚が痛くなった、とある。帰宅したら東京はずーっと雨だったと。あの雲海の下は雨降りだったんだ。いやいや、当時は良くぞ歩いたもんです。思えば夢んごたるですよ。