2026年9月1日火曜日

閑話 その五百四十九

 


 去年の秋のものだが、秦野署のパンフレットをネットで見付けた。

 「丹沢を甘く見ていませんか?」「丹沢はあなたの体力、技量、装備で登れる山ですか?」との表題である。その通りの題である。秦野署の救助隊は、常にそう思っているのだろう。甘く見るな!と。

 そして過去三年間の統計を、交通事故と山岳事故を比較して表示する。

〇交通事故 約120000件 死亡5件 1/2400

〇遭難事故   120件 死亡6件  1/20

 秦野署では交通事故死より遭難死の方が多いのですな。年間で40件の遭難事故。山北町、伊勢原市、厚木市、愛川町、清川村、松田町、道志村、駿河小山町を足すと相当の件数になるだろう。死亡事故もずっと増えるのだ。

 多くが登山道での事故で、疲労や転倒で動けなくなったもので担ぎ下す様だが(それでも偉い苦労です)、滑落した件や沢登りでの事故は救助隊も命懸けになる。遭難者は偉くヤバい場所にいる事になるから。

 別の記事で、山北町での遭難対策講座に出席した人のレポートがあった。講師の救助隊長が、出動時に自分が背負うザックを受講者に背負わせる。重くてふらつく。何と40Kgだ、それを背に走る勢いで現場に向かう。最早、常人に勤まる仕事ではない。

 中身は数種類の長さのザイルとサブザイル、これだけでズッシリだ。多くのカナビラ、ハーケン、ハンマー、そして医療具、保温シート等々。それに水と食料が加わるから40Kgを軽く越えてしまう。

 確りと自分を確保しなければ遭難者を助けられないので、必要品ばかりだ。確保が不十分な為に遭難者を抱きかかえて一緒に落下したら、目も当てられない事故になる。下手すると死者が二人になってしまう。

 歩けなくなったとか、転んだとかで救助隊を呼ばない様に、自分を管理しましょう。助ける人達は、自分を捨てて救助に当たるのです。

2026年8月29日土曜日

休題 その六百四十七

 


 一昨日、昨日と妻と熱海へ小旅行である。熱海がやけに多いが、何たって近いのでついね。あたしは近い旅行を好むのだ。行くにも帰るにも便利でしょうが。妻はそれでは物足りなそうだが、そのうちに遠くにも行きましょう。何時になるか分からんけど。

 サンミ倶楽部で、もう何度も泊まっている宿だ。熱海の夜景もすっかり見慣れて、何だか懐かしささえ覚えるに至ったですよ。

 今回は客が若い。子供連れも多い。老夫婦(含む我々)は三組のみ、老女性の二人連れも加えて年寄は八人のみ! ないんですよ普通は。年寄ばかりの中にたまに若者もいるのが見慣れた景色だ。流石に夏休みである。

 コロナの最中は違いましたなあ。電車に乗っても年寄グループはゼロ。旅行に行くのは若者のみ。ホテルの食事もマスクにビニール手袋、各テーブルにはアルコール消毒が置いてある。そして客はまばら。ホテルも土産物屋も存亡の危機だっただろう。安倍首相は思い切った財政出動で危機を乗り越えました。実に見事に裁いたと、感心しきりであります。

 その時代が嘘の様に、皆さん元気にマスクも手袋もなしに食事をする。平和って良いものです。オーバー? いや、死亡率すら不明だった感染初期は、国家の危機状態だったと言えるのでは、あたしはそう思うけど。

 旅行の話でした。暑いので「風呂は直ぐに出て来るかも」と言ったが、折角温泉に来て直ぐ出るのは余りに勿体なく、結局常の通りに一時間半程入浴してしまった。温まり過ぎて部屋に帰ると浴衣を脱ぎ、パンツ一丁になったのも常の通り。

 我々夫婦は旅と言えば温泉。あたしは内湯好きだが、妻は露天風呂派。それぞれの好みだが、内湯好きは割と珍しいかもです。何で?と聞かれても好きだからとしか答えられない。

 一泊は忙しい。翌日にはもう家路に付いている。今度は何泊かしましょうか。何時になるか分からんけどw

2026年8月26日水曜日

閑話 その五百四十八

 


 次女夫婦の薬師の話です。

 十二日夜発で、十三日は室堂から一ノ越、獅子岳、ザラ峠を越えて五色ヶ原で幕営。こ

れは天気は良いし、まあまあの調子で行けただろう。処が次女は「一番疲れた」なぞと言う。ほぼ3000mから歩き出したので、体の準備が整っていなかったと。そりゃそうでしょう。でも、本当に疲れたのは翌日だろう。

 暗いうちに出発して、越中沢岳、スゴ乗越、北薬師岳、薬師岳と越えて薬師峠迄歩いたのだ。今の地図で約十二時間である。テントを担いでじゃ相当ハードだ。余計な説明だろうが”今の地図では”と書いたのは、中高年が増えた為、昔の地図よりコースタイムが多目に取られているからだ。昔の地図なら十時間位だろうか。

 あたしは逆コースだが、薬師岳山荘に泊まったと思われる。薬師岳を越えてから人に会った覚えがない。忘れただけだろうがねw 薬師岳山荘から一の越迄十五時間! 昔の地図なら十二時間だろうか。何たって三十代だったもんねえ、しかも小屋泊まりだから歩けたのだろう。ザラ峠で休んだ時、未だ先があるなと溜息をついた覚えがある。あたし一人だけの乗越だった。

 次女夫婦はその長い稜線を、テントを担いでひたすら行った訳だ。目標はピークに立つと見える大きな大きな薬師岳だ。未だあんなに遠いのか、と焦った事だろう。


 

 やっと近付いて薬師の登りになって、北薬師岳に立った時からガスだったそうだ。目標寸前にしてガス。あたしはそれこそ何度も何度も経験したが、次女は初めてだったかな。気の毒ではあるが、それが登山のリアルだ。そういう経験もしなくちゃね。

 尤も次女夫婦にはそれ程残念に思う余裕はなかったかも知れない。ガスの薬師岳に立てただけで幸せ。だって、あと少しで幕営地だ。

 無事に長丁場を歩けて何よりでした。