2026年10月7日水曜日

閑話 その五百五十四

 


 今月三日(土)に三人が遭難死した。秋山を楽しんでいただろうに、痛ましい事故である。三件共登山道からの滑落と見られており、皆六十代の男性であった。ご冥福を祈ります。

 北アルプスの赤岩岳で二人パーティの一人が滑落した。赤岩岳とは表銀座の大天井と西岳の間のピークだ。特に危険な所ではないが、アルプスの稜線歩きで滑落は、即座に命に関わる事が多いのだ、左右切れ落ちている場所が殆どと思っても良い位なのだ。

 同行者がいたので連絡、ヘリで搬送されたが死亡が確認された。滑落されたら同行者にはどうしようもない。あっ、と言う間なのだ。

 同じ北アルプスの餓鬼岳では、先月二十八日に入山して行方が分からなくなっていた人の遺体が発見された。餓鬼岳は燕岳の北へ伸びる稜線にあり、割とマイナーなコースだ。あたしは行った事がない。発見場所は”剣ズリ”と呼ばれる地点から100m下だった。ネットで見ると岩場のトラバースが続く、名前通りの厭な所だった。いかにも落ち易いだろうなあ、と思う場所だ。

 予定を過ぎても帰って来ないので、家族が捜索願を出していたと言う。本来なら元気に「ただいま」と帰って来るだろうに、帰らない人の御家族はどんなに辛い事だろう。

 南アルプスの仙丈岳で、登山者が滑落して行く男性を見て連絡をした。小屋の管理人が捜索に出たと言うのだから、仙丈小屋だろう。小屋番も楽ではない。要請があれば救助に飛び出なければならない。たとえ嵐の中でもだ。

 小屋の近くの藪沢カール付近で発見し、ヘリで搬送したが死亡が確認された。上の写真が仙丈小屋。上は緩やかに広い尾根なのだが、たまに巻き道もあるので、事故現場はそこいらだろうか。

 天候が悪い訳でもないのに、三ヶ所で三人が亡くなってしまった。本来は清々しい秋山なのに。山は事故と隣り合わせなんです。

2026年10月4日日曜日

休題 その六百五十二

 

 別の章で橋本琴絵氏の本を取り上げた。彼女の本を見つけて購入した。題が「日本は核武装せよ!」、『被ばく三世だから言う』とのサブタイトルだ。一昔前なら本屋に置いて貰えなかったかもですな。

 「非核を貫くという信念と、日本も核抑止力を持つ、という物理的事実の対立軸は、宗教と科学である」、と橋本氏は言い切る。続けて「宗教とはあくまで”思想”であり形はない、科学とは物理的事実である。問題は”日本に再度核攻撃をさせない”という目的を実現するにあたって、宗教と科学という全く異なるアプローチのどちらが、国益に資するのかという判断が重要である」と書く。

 長くなるが更に引用すると「言うまでもなく、宗教とは同じ信仰心を共有するコミュニティあいだでのみ効力を持ち、科学とは人であろうと動物であろうと無制限に効力を持つ。つまり、日本人が非核を唱えても、核兵器を持つ近隣国の為政者がそのその観念を信仰しない限り、なにも意味はない。しかし、科学であれば、”日本を核攻撃したら自分も核攻撃される”という現実は当然、近隣の為政者と共有できる認識となる」。

 リアルに現実と向かい合った文章だ。具体例を上げているが、要約しよう。前の大戦の台湾沖海戦で海軍は大戦果を発表したが、実際は米海軍はほぼ無傷、その戦果を元にルソン島から兵団をレイテに送り、フィリッピンの防衛を破壊した。客観的根拠ではなく、感情や期待という主観的観念論で作戦を実行し敗北した。現在の皮革原則とは”白旗を挙げれば攻撃されない”という期待や感情であり、日本はあの戦争を全く反省していない、と。

 全く同意である。相手が聞く耳を持たないで核武装を推進しているのに、日本が核をなくせと幾ら叫んでも、せせら笑われるだけだ。

現に核兵器を放棄した国はない(南アフリカは別、訳は前に書いた)。一読に値する本です。

2026年10月1日木曜日

閑話 その五百五十三

 

 偉く昔の写真が出て来た。日付がないが、あたしが二十七、八歳の頃のものだろう。半世紀前の遺物ですな。

 Em、Yn、Yとあたしだ。皆さん余りに若くて思わず見直した。Yだって髪の毛が黒々としているし、Ynだって細身の青年である。今じゃどこのヤクザだと思われる風貌(失礼)なのにね。余り変化がないのがEm、若い頃から老け気味(失礼)だったので、歳を食っても変わらないのだ。あたしも若い、今とは全く違うですよ。

 どこかに書いたが、加入道で幕営した時の写真だ。白石峠経由で登って頂上でテントを張った。今は山頂に色々あってテントを張る場所もないが、昔は唯のピークだった。避難小屋もあるが、同宿舎がいると厭なので幕営にした。上の写真がその避難小屋。

 話はそのテントですよ。通販(当時もあったのですなあ)で買ったフランス製の、五、六人用のものなので、凄く広いの。”エアライズ3”よっか二回りも広い。大きなパーティが使用する大きさであった。

 材質がナイロン、綿布じゃないので軽い。張り綱もナイロンを撚ったもので軽い。ポールを立てる屋根型だから、張るのは一寸と手間だが、当時のテントは皆そうだった。如何にも安っぽい造りだったが軽くて良いやあ。

 あたしはキスリングYは背負子で、荷物は二人で持った。あとの二人は小さなリュックだ。水も担ぎあげたのだが、若かったので何でもない。半世紀前なんだもんねえ。

 テントの中の写真もある。全体が黄色くなるのはテントの色なので仕方ない。天井が高いので窮屈さを全く感じない。屋根型と言っても立ち上げ部分があるので、背が高いのだ。家形とも言えるだろう。

 風がある稜線では張れないだろう。今のテントは風に強い造りだ。屋根型じゃ潰されるか飛ばされる。飛ばされても床と一体じゃないので人は無事。昔のテントも悪い事ばかりじゃないですなあ。