ラベルは”平成三十年”だが、その五年後の令和五年はどんな山に行ったか見てみた。あたしが七十五歳になった年である。
何と、二十七回も山に行ってる。そのうち十回は弘法山なんだけどねw 一回はYと一緒だった。次に多いのは八回の高取山で、三回はYと行ったが、何とか弱って行くYを山に連れ出そうと頑張った時期だったんですなあ。結局二人共アカンようになっちゃたけど。
四回もYと堀山で幕営をしている。堀山だってやらないよっか遥かに増し。幕営具一式を背負って登るのだから訓練にはなる。今やれったって、絶対にできませんて。
一番のイベント春山はYと平標だ。雪の多い年で天気も上等、仙ノ倉迄行く予定だったが三月の千切れる様な冷たい強風の日だった。為に、春山装備のあたしゃあ耳を凍傷にやられ、平標迄だった。思えば残念な事をしたもんです。三月にしては装備が甘かった。上の写真がそれです。
五月には加入道山の避難小屋拍、翌朝、大室山をピストンして下山。新緑の贅沢山旅って感じで、気分の良い二日間でした。但し、筋肉痛が五日間続いたとある。矢張り七十五歳なんだ。テントを背負って歩く限界って事でしょう。一応テントも持って行ったので。
塔をピストンしている。九月だが五時間二十二分だとある。汗びしょだったとも。これが最後の塔になった。未だ分からない?いや、分かる。もう登れないでしょう。
大倉高原にYとテントを張って寝て、翌朝三時から登りだしたが、Yが不調で大階段の手前で引き返した。登れていたら、それが最後の塔ななっただろう。あたしもYも。
寄から栗ノ木洞の尾根を詰めて、装備を置いて鍋割ピストン、栗ノ木洞で野宿って変わった事をやった。畔ヶ丸の下の避難小屋予定だったので、テントがなかったの。で、地面にマットでシェラフ。落ち着かないですよw
ローソクが消える前に炎が上がる、その姿である。何とか立て直そうと努力した最後の年でした。
