2026年3月27日金曜日

休題 その六百二十六

 


 不確かではあるが、イランが第三国を通じてアメリカとの停戦協議の用意があるとの報道があった。本当なら良い話だ。

 アメリカがイランに提示している条件には、「核開発能力の放棄」「全ての濃縮ウラン物質の撤去」「IAEAに濃縮ウランを引き渡し、核施設の査察を受け入れ」「国内でのウラン濃縮作業の停止」「核保有を目指さないと永続的に確約」「国内3カ所の核施設の閉鎖」と言った核開発に関するものが入っている。

 イラン攻撃には様々な意図があっただろうが、一番の肝は核開発阻止ではなかったのだろうか。それに触れるマスコミ情報は殆どない。国際法がどうの、石油が来なくなってどうするとか、アメリカの横暴を許すなとか、日本もアメリカを非難すべきだとか、あたしには頓珍漢としか思えない論評ばかりだ。

 イランは反米・反イスラエル組織に武器と資金を援助している。カラシニコフ突撃銃や手打ちミサイルや爆弾だったから未だ良い(良くはないんだけどね)。既述だが、それに核爆弾が加わる訳だ。自爆テロで一つの都市が消え失せる事になる。

 それはアメリカとイスラエルの問題だ、日本は無関係だって? チッチッチ、間違えだね。日本で核テロが起きる起きないではない。核兵器が普通に使われる段階に入る、と言う恐ろしさに気付くべきだ。核爆発が起きるのが通常化するんですぞ。

 戦争状態(ウクライナの戦いもロシアに言わせれば、戦争ではなく特殊軍事作戦である)でも核兵器を使い易くなるって事でしょうが。歴史的転換点ではないか。そこに目を付けない日本のマスコミやジャーナリストや政治家は、知ってて黙っているのかな。それを言うとアメリカの攻撃を肯定する形になるのを恐れているのかな。それとも、そこに思い至らないのかな、だったらバカじゃないか。

 あたしは半分は知ってて言わない卑怯者、残りは立派にバカだと思ってます。

2026年3月23日月曜日

閑話番外 その百九十三

 


 やっと弘法山を歩いてる爺さんが、さて、初めて弘法山に行ったのは何時だったかと考えた。何と、高校時代に音楽部の諸君を連れて行ったのを思い出した。自分も一回も行った事がないルートに、十数人を案内した訳だ。

 鶴巻温泉から歩き出したから、案内書に従ったのだ。OBも一人か二人参加していた。途中の様子は全く記憶に御座いません、六十年以上も前の話だもんねえ。

 弘法山通過も記憶の外。権現山は覚えている。突然景色が見通せたのと、広い山頂が印象に残ったのだろう。勿論、展望台はなかった。その代わりにブランコがあったw 当時から公園扱いだったのだろう。今みたいに近く迄車道は通っていなかったから、着くのに結構大変な公園ではあったのだ。

 思い出すに、あたしゃあ登山ナイフを腰に下げていた。登山ナイフって今は使わない言葉ですね。ランボーナイフをうんと小さくして、皮のケースに収めたものだ。ランボーナイフって何? 映画「ランボー」を見ろ!

 何で弘法山で登山ナイフが必要なんでしょうね。バカなガキが恰好つけてたんですな。恰好もつかないのに、何やってたんだか。今なら絶対”危ない奴”扱いですな、警官に不審尋問されるかもねw

 高校生の、それも女の子が多いグループには丁度良いハイクコースだったかも知れない。今程道は整備されていなかっただろうが、丹沢の低山として案内書には必ず載っていた。従って、或る程度は道も確りしていて、道標もあったと思う。

 他の低山は、昭和四十六年版山渓の「丹沢」では、中津渓谷(今は宮ケ瀬湖の下)、渋沢丘陵、札掛から物見峠、大野山、高松山である。仏果山・華厳山なんか凄い藪山だったし、白山コースも拓かれてなかったのだろう。

 かくも弘法山コースは由緒正しいルートなのだ。一生懸命参りましょう。

2026年3月20日金曜日

閑話番外 その百九十二

 


 五章前で、登山者でなくなったら花粉症になった様だ、と書いたが全くその通りだった。と言う事は、登山者(特に丹沢愛好家)は花粉症にならないとの仮説は正しかったのだ。えっへん。

 十七日に三ケ月弱振りに弘法山ルートをやったが、その夜から鼻が詰まってさあ大変、寝る時に息ができない。鼻薬を吸引したが効き目ナシ。仕方なく口で息をしたけど、口と喉がカラカラに乾いてしもうただよお。

 まあそれでも、弘法山でも月に一、二度行くうちには治るんじゃないかな。植林が割と少ないから無理かな。権現山ならバッチリなんだろうが、今一つ自信がなくて。全く話にならんのだが、弘法山に行けただけでほっとしてるんだから何だかねえ。

 翌日には脹脛の筋肉が張っていたので驚いた。ダメだこりゃあ。低山散策の爺さん七十八才そのもの。そうか、実態通りなんだから慌てる迄もない事かあw 鼻詰まりは続いていて、結構苦しいですよ。

 里山しか行けないと自覚しているつもりでも、心の奥では山をバンバン登っていた頃の自分がいる。適当に取り付いてカレザレを登り切る、そんな自分が未だいるのだ。やったら絶対にできっこないんだけど。この間の最初の登りで二ケ所ショーカットをしたが、足元がおぼつかず、息も上がって苦労だった。そんなの(もっと厳しい)を何時間も続けるのが、あたしの丹沢歩きの多くだった。今の自分に当てはめる事はナンセンスの極みって分かってんですけどねえ。

 大山にさえ登れるかどうか怪しい。去年は登れたがこんなに歩いたっけ?と思う塩梅、喘息が戻ったからには息が切れるに決まっている。その上筋力も確実に衰えているし。最早大山も遠い山なのけえ? そりゃそうだ、権現山すら自信がないんだから(涙)。

 良いのさ、それが実力。弘法山をせっせと歩いて温泉を楽しむ、それで上等でしょう。