写真の詰め込まれている段ボールを開けて、写真や屋がプリントしてくれる、フィルム一本分のアルバムを取り出した。昭和六十年九月十三日から十五日の記録だった。約四十一年前の話だ。あたしは三十八歳ですな。
十三日梓一号で白馬に入り、その日は八方尾根で唐松岳へ登り幕営、我一人とある。今では幕営にも予約が必要、一つしかテントが張られないなんてお盆の最中なのに、本当に昔です。
十四日は快晴、テントに碓氷が張る、とあるので相当冷えたのだ。その記憶はある。ポールにも氷が付いてましたなあ。快晴の稜線をキスリングを背に、五龍岳を越えて八峰キレットを通過、鹿島槍に登って冷(つべた)のキャンプ場で幕営、とある。うん、思い出した、とても長かった。冷に着いたら座り込んだ。当時の装備は重かったから、20Kgは超えてただろう。若さです。
当時のバカチョンカメラでも、快晴のアルプスならそれなりの写真にはなっている。そんな時は誰でも立派なカメラマン、天候次第って事です。ネガを妻が処分してしまったので、ここでお見せできない。上の写真は人様のものです(ペコリ)。
稜線には時々ガスが掛かるが、下界は雲海の下だ。懐かしい臙脂のカッター姿である。稜線の写真にも、山頂の写真にも人影はない。まさかあたし一人って訳じゃないだろうが、兎に角登山者が少なくなった時期だったんですなあ。今なら大行列だろう。
十五日は天候悪化の兆しありで、爺ヶ岳を越えて扇沢へ下った。青空は消えて雲が一面に広がっており、山々は雲と雲海に挟まれて姿を現している。遠く穂高が見えるのは、爺からの写真だろう。
帰りの車中では早くも脚が痛くなった、とある。帰宅したら東京はずーっと雨だったと。あの雲海の下は雨降りだったんだ。いやいや、当時は良くぞ歩いたもんです。思えば夢んごたるですよ。

