2026年4月12日日曜日

休題 その六百二十八

 

 辺野古の海難事故は産経新聞のみが追い続けている様だ。TV各局にとっては格好の題材だろうに、何故かほぼ沈黙状態である。新聞各社も然りだ。

 沖縄基地問題と共産党が絡んでいるので、報道を自粛しているかと疑われる。何故自粛するのか、本心は普天間基地の辺野古移転に反対なのだろう。基地反対運動に水を差すのを嫌っているのとしか思えない。

 日本の報道自由度はG7で最低だが、尤もな評価であろう。一斉に(除く産経)同じ思いで報道する、或いは”報道しない”。これは特定の意図を持った国民洗脳の方法ではないか。長い間国民はメディアに洗脳され続けて来たと言う事だ。

 ネットの登場で世の中は変わりつつある。メディアの影響力が相対的に減少しつつあるって事だ。企業のコマーシャル費用も、ネットがTVを数年前に上回った。今ではダブルスコア―になったんじゃなかったっけ。

 オールドメディアとかマスゴミとネットで揶揄されるが、全くその通りだと思う。嘘は殆どつかないが、メディアにとって不都合な事は報道せずに、なかった事にする。独裁国家の御用報道機関にそっくりだ。違いは政府の指導の下にはないと言う事だ。では、どこの誰の指導下にあるのだろうか。そこを掘り返して明らかにして貰いたい。色んな説はあるけど、確証がないのでね。

 少なくとも日本の為に動いてはいない何かだろう。大体の傾向として、日米の間を裂く動き、日本の文化を破壊する動き、日本の防衛力を削ぐ動き、詰まりシナに有利な状況を作り出そうとする何かに見える。

 スパイもいるかも知れないが、日本人のそういう考えの人間が集まっている、と考えるのが妥当だろう。TVを見てるとバカになると昔から言われていたが事実だった訳だ。団塊の世代も徐々にTV離れが始まっているのは目出度い事でありますなあ。

2026年4月9日木曜日

閑話 その五百三十三

 


 次女夫婦が白髪門から巻機山へ縦走したとは書いた。先月二十八(土)二十九(日)だ。写真をラインで妻に送ってくれたが、妻のスマホがいかれていて、あたしのPCに転送できない。上の写真は他人の物を拝借です。

 前夜に土合へレンタカーで入り、仮眠して白髪門へ取り付いた。帰りは清水部落から六日町へ出てJRで土合へ、車で帰京であった。

 あたしは清水部落から謙信尾根で清水峠へ登り、ジャンクションから縦走路に入ったもんだ。雪の林道歩きが長くてしんどいから、次女夫婦のコースがベストだろう。

 二日共好天だったそうで目出度い。前後したのは二パーティ、擦れ違ったのは一パーティだ。あたしの時は巻機山の登り迄誰もいない。雪山独占であった。時代の差ですなあ、昔はそんな所には余程の好き者しか入らなかった。依って、トレースはバッチリでラッセルの苦労はなしとの事。

 幕営は広い山頂だったと言うから檜倉山だろう。池塘は雪の下だった筈だ。あたしの時は五月だったので、池塘は清冽な雪解け水で満々だった。この上ないキャンプ地だった。

 「最高に綺麗な縦走だったよ」と言う。そうでしょうとも、天気さえ良ければ危険な所もないし、雪山が連なって巻機山へ至る。周りも打ち続く雪山が輝く。誰が行ってもそう言うに決まっている。尤もバリエーションには違いないのだから誰でも行ける訳ではない。って考えは古いのかなあ。ググって見るとそのルートの報告であふれてるんだもんねえ。装備の飛躍的改良のお陰ですな。

 巻機山にはスキーヤ―が大勢いたそうだ。そこは昔と一緒。巻機山からはこれから先の上越国境線、そして平ヶ岳、越後三山、今来た上越国境と谷川連峰とその先に伸びる国境線、遠くに会津の山々と、白銀の山大会だ。さぞや嬉しかった事だろう。

 あたしはもう行けませんね。羨ましい限りです。

2026年4月6日月曜日

閑話番外 その百九十四

 


 ラベル「上越国境稜線」で二十年以上掛けて上越国境を98%歩いた話を書いた。残った2%は景鶴山で、尾瀬に着けばOKと決めていたのでそれで宜しいのだ。

 最大難関区間が大水上山から尾瀬で、山中四泊を掛けた。あたしが五十九才の時だから、同行のYは五十一才、今年が最後のチャンスだから行くぞ、と強行したのだ。そしてそれは正しかった。もう二つ三つ年を取っていたら、四泊では歩き通せなかっただろう。その時ですら最後の鳩待峠への僅かな登りで、Yは息も絶え絶えの有様だったのだから。

 兎に角荷物は減らせ、不要な物は一切持つな、ランタンなんていらん、ローソクで充分だ。灰皿の瓶もいらん、携帯灰皿で良い。酒もウイスキーだ、チュー缶は一日一本だ! と、全力で荷を軽くしたですよ。

 「上越国境稜線」ではあっさりと全体像を書いているが、長丁場なので結構色々面白い事もあった。大水上山からの灌木便りの下り(物凄く急で、トラバースをし乍らなの)でYはサングラスを枝に弾き飛ばされた。普通は好天の雪山でサングラスがなければ目をやられる。幸いな事にYは目が細い。更に目を細めて事なきを得た。エスキモーがスリットをサングラス代わりにするあれである。

 山中二泊目は偽藤原山だった。頂上は狭く笹が出ている。後は緩い雪の斜面だ。斜面にテントを張ろうとするとYは笹の上が良いと言う。斜面は不安だったのだろう。結局笹の上のテント、ゆさゆさするあれである。生活し辛い事この上なしだ。鍋は常に手で持っていなければならない。動く時も声を掛け合って気を付ける。全くもう。。。。。

 とか言い乍らも楽しい我が家である。天気には恵まれているし、風も大して吹かない。天気が崩れれば動けなくなる。少々の不自由が何さ、なんですよ。雪山に囲まれてのテント生活の日々、天国でしたなあ。

2026年4月3日金曜日

閑話 その五百三十二


 

 雨が続いたが今日は快晴、弘法山ルートに行って来ました。好天の上に桜の盛り、皆さん狙いは同じで山道に掛かる迄に十人程抜いた。単独は二人だけでグループが多い。

 山道に入ったら行列、休日のバカ尾根状態である。一つグループを抜くと直ぐ次のグループについてしまう。カーブで抜くか、気付いてくれて道を譲ってくれる。そんなかんやで思う様に進めない。

  権現山頂上も人が一杯。

 

 

 桜の上は青空だ。


 

 弘法山へ向かう道も人人人。


 

 弘法山も人が多かったが、その先へ進む人は、そうねえ、二十分の一以下だろうか。塔から先へ進む人がガクッと減るのと同じだ。スケールは桁違いだけどねw

 下りに掛かっても数パーティを抜く。弘法山ルートでは、あたしゃ無双状態だ。里山で何言ってんだなんだけど、スズキ自動車方式ですな。日本や大きな国では勝負にならないから、小国でNo.1になる。それをハンガリーでやり遂げた。一国でNo.1になる、それは社員の誇りにも自信にもなる訳だ。今じゃ大国インドでもNo.1になった。逸早く脱シナ脱アメリカに踏み切ったのは凄い。

 弘法山を越えると桜はなく、新緑である。


 

 暫くで四十才位のガッチリした男性に抜かれた。見る見る離される。スズキ自動車方式はあっけなく消え去った。体力が違い過ぎる、現役は強いですなあ。あたしも昔はああだったのだ。いまじゃあ、オンボロボーローロー

 四十代と思われる十人以上のパーティと擦れ違った。こちらの諸君はのんびりと歩いている。しかし、あの大パーティは何だったのだろう? 何かなんでしょうよ。

 前後するパーティがいないので歩が進む。No.1は逃したがNo.2でも良しとしましょう。こうして歩けるだけでも見っけもんだ。一時は悪化した喘息も収まったってこってす。