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2026年8月26日水曜日

閑話 その五百四十八

 


 次女夫婦の薬師の話です。

 十二日夜発で、十三日は室堂から一ノ越、獅子岳、ザラ峠を越えて五色ヶ原で幕営。こ

れは天気は良いし、まあまあの調子で行けただろう。処が次女は「一番疲れた」なぞと言う。ほぼ3000mから歩き出したので、体の準備が整っていなかったと。そりゃそうでしょう。でも、本当に疲れたのは翌日だろう。

 暗いうちに出発して、越中沢岳、スゴ乗越、北薬師岳、薬師岳と越えて薬師峠迄歩いたのだ。今の地図で約十二時間である。テントを担いでじゃ相当ハードだ。余計な説明だろうが”今の地図では”と書いたのは、中高年が増えた為、昔の地図よりコースタイムが多目に取られているからだ。昔の地図なら十時間位だろうか。

 あたしは逆コースだが、薬師岳山荘に泊まったと思われる。薬師岳を越えてから人に会った覚えがない。忘れただけだろうがねw 薬師岳山荘から一の越迄十五時間! 昔の地図なら十二時間だろうか。何たって三十代だったもんねえ、しかも小屋泊まりだから歩けたのだろう。ザラ峠で休んだ時、未だ先があるなと溜息をついた覚えがある。あたし一人だけの乗越だった。

 次女夫婦はその長い稜線を、テントを担いでひたすら行った訳だ。目標はピークに立つと見える大きな大きな薬師岳だ。未だあんなに遠いのか、と焦った事だろう。


 

 やっと近付いて薬師の登りになって、北薬師岳に立った時からガスだったそうだ。目標寸前にしてガス。あたしはそれこそ何度も何度も経験したが、次女は初めてだったかな。気の毒ではあるが、それが登山のリアルだ。そういう経験もしなくちゃね。

 尤も次女夫婦にはそれ程残念に思う余裕はなかったかも知れない。ガスの薬師岳に立てただけで幸せ。だって、あと少しで幕営地だ。

 無事に長丁場を歩けて何よりでした。

2026年8月14日金曜日

閑話 その五百四十七

 


 東京は毎日雨だ。昨夜は千葉に線上降雨帯が発生して、何人もの方が亡くなり、一万人の帰宅の足が奪われたと言う。気象の劇症化は世界的規模の様だ。

 裏日本(と言ってはいけないみたい)では好天が続く。狭い日本なのに、気象の違いは鮮やかである。その好天の中、次女夫婦は北アルプスを歩いている。室堂から入って一ノ越から薬師岳へ歩き、太郎兵衛平から折立へ下るのだ。どこで泊まるかは聞き忘れた。

 この逆コースは、あたしがアルプスでの初めての単独コースだ。違いは室堂へ出ずに、一ノ越から雄山をピストンし、その侭黒部第四ダムへ下った事だ。

 その時初めて富山に行ったが、当時(あたしが三十代)は名古屋から高山線で行くしかなかった。着いたら地鉄に乗り換える。地鉄って何だ? 他の登山者に着いて行ったですよ。何とかバスに乗れて折立には着いた。思えば相当緊張していた事だろう。

 お陰様で天気には恵まれて、雄大な薬師岳(本当に大きな山)を越えて一ノ越へ着いた。どこで泊まったかと考えたが思い出せない。一ノ越の小屋に泊まった事だけは確かだ。翌朝雄山で御来光を迎えた事は、はっきりと覚えている。後立の稜線からの御来光だった。

 ダメですなあ。既述だが、五年前位迄は山の記憶だけは鮮明だった。どこから入ってどこに泊まってどこへ下った、天気はああだった。記録なんて不要だった。それが失敗でした。今じゃ思い出したくても思い出せんですよ。記録もないから、頼りは写真アルバムの裏書のみ。それがない山行は存在しない事になった。衰えを考えてなかった罰でしょう。

 上の写真は人様の撮った薬師岳。次女夫婦は好天の中薬師岳を目指しているのだ。ここ数日は東京も涼しいが、アルプスの稜線は涼しいなんてもんじゃない快適さ。テントの夜も寒い程だろう。羨ましいですよ。

2026年6月29日月曜日

閑話 その五百四十二

 


 六月初旬に次女夫婦は笠ヶ岳に登った。新穂高から笠新道ピストンだった。前夜発で車で入り、笠のキャンプ場で一泊し翌日下山で帰京。忙しい事である。

 今はトンネルができたので、新穂高へは松本から入れる。あたしが初めて笠ヶ岳に行った三十代の頃は、名古屋に出て高山線で高山に着いて、そこからバスだった。登山基地迄が既に旅でしたなあ。

 笠新道は登山口から稜線迄五時間四十分、稜線に出れば緩い歩きで一時間でキャンプ場だ。そこから山頂はすぐそこ。稜線へ時間が掛かるが、標高差は1200mだから塔に登るのと同じだ。処が距離の半分で一気に1000m登る。ここがキツいんです。傾斜が厳しいと体にも厳しいので、時間も掛からうってもんである。次女も「もう登る事はない」と言うからキツかったんでしょうよ。

 半分から上は雪でアイゼンで登った。今年は残雪が多かったのだ。上の写真はゴールデンウイークのものだから、もっと雪はなく稜線付近から上が雪なのだろう。

 あたしが三十代の時の笠のキャンプ場の水場はお盆の時期、巨大な残雪の下にトタン板を差し込んでそのトタンからザーザー流れる水がそれだった。手間いらずで豊富、随分楽をしました。それがなければ稜線直下に水場のマークがあるから、一寸と下らされるのだろう。次女達は一面の雪、雪を溶かさなければならなかったと不服そうだった。

 その位何さ。幕営用具を背負って笠新道を登れたんだ、とても羨ましいよ。とは言ってもあたしも登れる歳だったとしても、もう登る気にはならないけどねw

 笠ヶ岳は見栄えが良い山ではない。その癖登ると思いの外にキツい。だもんで余り人は押し寄せない。それでも次女達の他に三張り程テントがあったと言う。実に羨ましい。