前章で、箱根蕎麦は創立五十年と書いたが六十年の間違いでした。訂正致します。
多分、今年最後の(里)山歩きは二十二日の弘法山でした。何故高取へ行かなかったかと言うと、軽めにしたかったのと家を七時半に出るのが億劫だったの。それじゃあ廃人爺(じじい)だろ!との声は承知なんで、詰まり立派に廃人爺なんです(涙)。
面白いもので、街中では急いでも速くは歩けず若者に抜かれまくっているが、山道に入るとそれなりに速度が出せる。環境の所為なのか気分の所為なのか、その両方でしょうな。皆さんアスファルトは歩きにくいと仰るが、やっとその意味が分かったですよ。
快晴で無風、寒い日だったが条件はバッチリ、結構人も入っていた。権現山の展望台下の日当たりの良いベンチには、老年夫婦と中年女性の二人連れが間食を摂っている。夏なら逃げ散る場所なのにねw 上が展望台からの富士。塔が見えないのが残念な展望台だ。
あたり一面冬枯れになった。
かと思えば散り残った黄葉もある。
若者が七人程走って来るのと擦れ違う。トレイルの姿ではない。ラストの女性が「私でラストです」と言う。大学生より五才は上の諸君だった。どこかの運動部かな? 昔S、Kと歩いていた時、高校野球部が権化山と吾妻山を走って二往復していた事があった。山を走るのはトレイルだけじゃないですな。
弘法山に保育園児がいた。時々擦れ違うが、同じ保育園かどうかは分からない。弘法山、権現山は危険が全くないから引率者も気が楽だろう。高取山に登る保育園は根性が入っている。あの急坂を下らせるんだ、一瞬も気を抜けないだろう。まあ、特に事故がないから続けているんだろうが、秦野の子は強い!世田谷あたりだったら、想像もできないねw
これで令和七年の山も閉じる訳だ。何とも情けない話になりました。