あたしは丹沢を除いた本格的冬山は、年に 一回行けたかどうかだ。奥秩父に二回、八ヶ岳に七回、中央アルプスに二回、南アルプスに十回、北アルプスに五回、那須に二回ってとこだろう。そのうち小屋泊が七回、避難小屋が三回、従って幕営は十八回って事になる。
幕営だって殆ど二泊、聖岳は三泊だった。いやいや、大したもんじゃないですなあ。それでも常に寒いと言うより冷たくて、一度小屋泊まりを経験すると丸で天国、雪を取って融かす必要もなく、朝凍った水を融かさなくても良く、暖房も効いていて布団で眠れ、撤収のあの物凄い冷たさもなく、一遍に人間がヤワになっちまうのだ。
ここ十五年以上はヤワになったで、小屋か避難小屋(詰まり冬季小屋)専門になったのは致し方なかろう。現在は、冬山に行く事すら考えられない状況なんだけどね。
三十歳から冬山を始め(二十代に一回行ったんだけど)て、ほぼ毎年の様に良くぞ冬に出掛けたものだ。三十代の頃は勢いってもんだろうが、四十代以降は結構キツい思いだったのだろう。その頃は幕営中心だったから。
他のパーティは極めて少ない時代だった。人のトレースをあてにしていた(へへへ、汚い奴です)から人気の山を狙ったのだが、それでも殆ど人に会わなかった。人だらけだったのは五龍岳と赤岳で、あとはたまにパーティと擦れ違う位だった。あ、西穂高は割と人がいたか。鹿島槍も幕営地はテントだらけだったか。聖岳に至っては、三泊もしたのに単独男性と一パーティにしか会わなかった。今と違って冬山に入る人自体が極めて少なかった。登山ブームの狭間だったのだ。依って、冬山は寒くて孤独な世界だった。
よーし行くぞ!と冬山へ行き、帰宅して風呂に入ってつくづく幸せを噛み締め、春山へ出掛けて下山して、やっと一連の行事が終わった。今は最初から終わってますw



