2025年11月28日金曜日

休題 その六百十

 


 小涌園と聞けば箱根駅伝の第五区、山登りの中間地点で有名である。一時建て直しで休業していたが、建設成って営業しているので、正月は駅伝フアンで一杯だろう。

 伊東にも小涌園がある。建物は箱根小涌園程大きくはないが、内風呂は大きい。そこへ一昨日昨日で妻と行って来た。最近は熱海が多かったが久し振りの伊東だ。熱海から先は乗換が面倒なので避けていたが、たまには行こうって訳です。

 当たり前の話だが、物皆値上がった。物価も人件費も上がっているのだから仕方ない。コロナ前は八千円代、九千円代の宿があったものだが、今じゃ近くにはない。熱川以遠や西伊豆にはあるけど、運賃で相殺される。その上時間も掛かるので、あたしが様な無精者は気が進まない。妻は「折角の旅なのに」と言うが、旅は近いが一番。変な思想ではありますなあ。まあ、そんな奴なんでね。

 最近は露天風呂には入らなくなった。えーっと、それはもう書いたっけ。理由は分からない。好みが変わったのだろうね。従って内風呂が広いと嬉しい。小涌園は充分な大きさだった。大野屋のローマ風呂が有名だが、あそこ迄大きいと、却って落ち着かない。弘法の里湯位か、もう少し大きい位が宜しいのだ。

 どうでも良い事を書いてますなあ。どうせ絶海の孤島なんだから好きにさせてちょーよ。処がですよ、時々百頁以上の閲覧がある。場合に依っては数百ページ、ええ、何事!と驚く。それが今月になって、千頁を越える日が二回、いや三回だったかなあ。普段は七頁だとか十頁だとかなんですよ。千頁!一体何の間違いなのだろうか。

 伊東の話でした。山側なので海は見えない。海の見えるホテルは熱海で散々泊まっているので宜しいのだ。見えるのは侘しい紅葉の山(伊豆は常緑樹が多いので)と伊豆急の線路。それはそれで落ち着いた旅でした。

2025年11月25日火曜日

閑話 その五百十九


 

 最近は”馬蹄型縦走”と呼ぶらしい。白髪門から朝日岳、清水峠へ下って武能岳へ登り、芝倉岳、一ノ倉岳を越え、そして谷川岳から下山するルートである。確かに馬蹄に似てない事はない。

 次女が二十二日夜に出発し、二十三日、二十四日で縦走する筈だった。天気は上々の予定、テント装備で出発した。

 処がですよ、白髪門に登り着く前から思いもよらぬ深雪、上の写真の如くであります。次女はそこ迄の雪とは思わずにピッケルは持って行かなかった。この先の縦走は無理だと判断、白髪門から来た道を下山して帰京した。前夜発日帰りの山旅になった訳だ。

 ジジ岩ババ岩迄の息もつかさぬ急登を登っての、白い山々、青い空、翌日も好天なのだから引き返すのはさぞや残念だっただろう。それで良かったのだ。ピッケルなしでは危険な縦走である。実に良い判断だ。

  写真は朝日岳、目の前である。


 

 振り返れば谷川岳。ピッケルさえあればそこ迄行けたのに。

 

 あたしにも覚えがある。十月末に表銀座をやるつもりで、燕岳経由で大天井小屋に泊まった。同宿の男性が女性パーティに「アイゼンは持ってる?」と聞き、パーティは「持ってます」と答えた。登山道に雪は少ないが凍っている、と説明していた。え、そりゃあいけない、あたしゃアイゼンの用意はない。翌日はキッパリ諦めて燕岳へ引き返して下山した。残念だが事故を起こすより良い。なに、又来れば良いのだ。山は逃げない。

 十一月末ともなると上越にこんなに積もる年もあるんですなあ。あたしも思いもよらなかった。白く粉を撒いた程度の雪と軽く見ていた。上越の積雪については何の情報もなかったので。アルプスが真っ白なんだから、上越にも降っていると気付くべきでした。父親失格です。

 次女には次の機会がきっとある。あたしにはないけどねw

2025年11月22日土曜日

閑話 その五百十八


 

 昨日は快晴、では高取山でも行こう、と出掛けた。大山行きのバスは長い列、係員が整理していた。土曜の今日はもっと凄いだろう。

 会社員が降りて東海大農場でも降り、四十才位の男性が残って運転手に「××寺で降ろして下さい」と言うので「高取山ですか」と聞くとそうだと答える。「私が降りる所の方が近いから、一緒に降りて下さい」と二人で降りた。勿論彼の方が速い、聖峰で追い付き一寸と休んで「先に行ってますよ」と歩き始めた。それがいけなかったのかな?


 

 前回よりキツい。筋肉にも負荷が半端ない。喘息前なら一気に登った階段もやっとこさっとこ、今月七日に来たんだから、それよっか楽になってるもんじゃないの、普通はさ。逆なんだもんねえ、情けなくもどうにか頂上には辿り着いたですよ。聖峰の分岐へ下ると彼が休んでいる。高取には登らず弘法山へ向かうと言う。直ぐなんだから行けば良いのに。

 下りもモタモタ、一寸との登りでもゼーゼー、悪戦奮闘で左足が痛くなる始末。ん、前にも左足が痛くなったな。どうにか里湯に着けたのは目出度い。里湯でもフラフラ、相当効いていたですよ。

 思うに、バスの彼を無意識のうちに意識して、追い付かれない様にしてたのでは、と。詰まり、僅かなオーバーペースを続けた結果ではないのか。弘法山ルートで男性を追い続けてオーバーペースの結果、左足は痛くなるわ、逆に時間は掛かるって、同じ状況ではないかい。現に時間は二時間五十二分、七日より掛かっている。

 僅かの間に体力と筋力が衰えたのでなければ(そうだとしたら病気です)オーバーペースが原因だろう。詰まらない意地を張るのがあたしの昔からの悪い癖。喜寿の爺さんなんだから、マイペースが一番なのにね。

 バカは死ななきゃ治らないってさ。あたしゃ、死んでも治らないのが心配ですよw

2025年11月19日水曜日

閑話 その五百十七

 


 一昨日の暖かい日に次女が天城山へ日帰りで行き、帰りに我が家に泊まった。日帰り?そうなんです、昔と違ってるんです。早朝出て、夜九時には町田に着けるんですなあ。写真は撮らなかったそうなので、、上のは拝借ものです。

 あたしが天城の万次郎万三郎を越えて天城峠へ歩いたのは高校三年の時、冬休みにTと一番電車で出発し、麓のキャンプ場に着いたのは十五時、冬のキャンプをしたですよ。何せ小田原から東海道線で熱海、乗り換えて伊東へ、そこから鼻の出たバスでガタガタ道を行き、終点から歩いてやっとですよ。今じゃ舗装道をバスで登山口迄入れる、偉く便利になったものである。

 次女は万次郎・万三郎を越えて周回コース(勿論昔はなかった)で登山口に戻った。確か万三郎の方が高かったと思う。1300mクラスの山である。それでも伊豆の最高峰、しかも百名山なので昔よっかずっと便利になったのも無理からぬ事。

 展望はない。樹林帯をひたすら歩く。紅葉は見事だったらしいが、写真を撮る余裕はなかったのかな。便利になったと言っても日帰りだと一杯一杯、伊豆とは言え遠いのだ。あたしゃあ不精だから遠い山は面倒だが、次女は”天城山”へ行きたかったのだろう。あたしなら天城峠へ歩いて伊豆長岡で一泊するけどね。その代わり、次女は伊東で立ち寄り湯に入って来た。石鹸もない、要するに銭湯だ。でも源泉掛け流し、地元の人が利用する。それも風情があって宜しかろう。

 六十年から昔の事なので、天城山の印象は殆ど残っていない。丹沢を歩くのと同じ感じだっただろう。その山行は本文で一寸と書いた筈だ。七滝(ななだる)温泉にテントを張って(キャンプ場もあった)幾つもある露天風呂に入りまくった。

 一寸と遠くてもさっさと出掛ける、その行動力は(若くないけど)若さですなあ。

2025年11月16日日曜日

閑話 その五百十六

 

 このラベル”昔の仲間と山歩き”はこれで最後になるのかなあ。年々人は衰えて行く。あちこち痛くなったり、病を得たり、結局どうにか歩けるが山登りは無理となるものだ。

 高校同期生を中心に立ち上げた零細山岳会の諸君も、最早山登りができる人はいない。あ、女性陣の方が確りしていて、未だ未だ歩ける。矢張り男より女性が強いです。あたしは不精なので女性を誘うのは面倒だ。Kがマメにやってくれていたが、もう山を下る(登りはできる)のは辛いだろう。Sは何度もの手術で無理。あんなに頑丈だったのに、病には勝てない。Nは三味線三昧で山どころではない。お弟子さん迄いる。Dは会社の会長に収まって、でっぷり太っちまった。山なんざ飛んでもごぜいやせんですよw

 高校とは無関係で、一番一緒に山へ行ったYも、膝を痛めてリタイアした事は何度も書いた。Yとは何度沢を登っただろう。何度山歩きをしただろう。何度道なき尾根を登降しただろう。何度小屋で泊まっただろう。何度避難小屋で泊まっただろう。何度テントで夜を過ごしただろう。何度方向確認の磁石を覗いただろう。そして、何度凄くヤバい思いをした事だろう。

 山では古い山仲間の全てを失った訳だ。とか言ってるあたしも、御多分に漏れずに碌に歩けなくなった。元登山者、今じゃ低山ハイカーの爺さんである。新しい山仲間を造る気は更々ない。そんな気力は薬にしたくともない。気心知れた山仲間は、そんなに簡単にできっこないものなのだ。詰まり、人生に於いて極めて貴重で得難きものです。そう思うとあたしゃあ恵まれた奴だったんだなあ。

 今朝もTELがあり、シルバーで一緒に図書館勤務をしている人の旦那から、奥さんが入院するので奥さんを十二月のシフトから外して欲しいとの事だった。歳を取るとはそう言う事で、ハイキングでもできるだけで結構な話だ。昔の山仲間達、地上で会いましょう!

2025年11月13日木曜日

閑話番外 その百八十五

 

 ふと思い出したですよ。50度超の涸滝を登っているのだが、左にも広く岩場が続いて結構迫力があるシーンだ。考えてみたら大日沢だった。中津川の支流の本谷川の沢である。

 キウハ沢出会い迄車で行って沢に入った。四十才位だっただろう。本谷川は暫く岩床が続いて滑滝が連続し、何とも楽しい所だった。一年後にYと本谷川からオバケノ沢を詰めた時「アドベンチャーだなあ」と声が上がった。そう言う面白いアブローチが楽しめる。

 上の写真は大日沢とオバケノ沢分岐あたりだが、無断で借用したので済みません。見ての通りへずる所が多く、滝も多い。多くの滝は直登できるが、大きいのも幾つかあって、当然それは巻いた。

 地図では小さい沢だが、意外と広かった。明るく気持ちの良い沢との印象がある。最後に近くなると、冒頭の岩場が現れるのだ。あたしが様な高所恐怖症でなければ、階段状と言っても良い具合なので何て事なく登れる。あたしゃあ必死だったけどねw

 新大日から木ノ俣大日の間の鞍部に詰め上がる。帰りはどうしたんだ?この時は沢を下ってないので、長尾尾根を下って上ノ丸先の分岐を札掛と逆に北へ向かって、本谷橋へ出たのだろう。すると、車もそこに停めた訳だ。キウハ沢出会い迄入ったのは、きっとYとオバケノ沢へ行った時だね。

 山の事だけはあんなにはっきり覚えていたのに、急速に記憶が霞んで行く。”頭の中の消しゴム”ですなあ。そのうちにどの沢に登ったのやら、どの尾根を登ったのやら、すっかり分からなくなりそうだ。丹沢の地図が真っ赤になる位にあちこち登ってるんだけど。忘れちまえばパーですなあ。仕方ないでしょう。

 大日沢のレベルは初級の上、いかにもあたしが狙いそうだ。メジャーではないが楽しく、経験者にはそれなりの滝があって面白いだろう。入り口からのの岩床には本当にワクワクしました。

2025年11月10日月曜日

休題 その六百

 


 米山隆一議員(立民)が、元ボクサーのユーチューバー(実業家でもある)細川バレンタイン氏を名誉棄損で訴えると脅して、一寸と話題になっている。

 ご存じない方の為にざっと説明しよう。X上での、日本国旗損壊罪(正確には日本国章)への賛否の遣り取りに米山氏が参入、匿名の「表札を燃やされたら怒るでしょう」との投稿に「他人が燃やしたら処罰されます。自分の家の表札を自分で燃やした場合も処罰されるのが国旗破損罪です」と絡んだ。

 それに嚙みついたのがバレンタイン氏で「好い加減にしろキモジジイが、こんなゴミが国会議員に選ばれてんのかよ。家の表札は家族全員の表札なんだよ、他の家族全員にそいつは処罰されるよ。当たり前の事だわ」と手厳しい。

 米山氏も黙っていない。直ぐに「貴方のこのpostは、意見もしくは論評だとしても『人身攻撃に及ぶなど意見ないし論評の域を逸脱したもの』『社会通念上許される限度を超える侮辱行為であり、損害賠償に当たると考えます。政治家になら何を言っても良いという風潮を放置しない為にも、直ちに削除しないのであれば、法的手続きを取らせて頂きます」と訴訟をちらつかせた。あれ、前には政治家は或る程度の罵詈雑言は受けるべきだ、と言ってたぜ。ははー、安部さんになら良いって事だね、ダブスタ男だな。

 米山氏は医学博士で弁護士、ボクサー上がりのハーフのユーチューバーなんざ一発でビビると思ったのかな。残念でした。バレンタイン氏はハーフだが根性が入った日本人だ。「おお、有罪にでも何でもしろ。人の意見への回答から逃げて、違う部分に話を持って行く卑怯者とは、徹底的に戦ってやる」と意気盛んである。政治家なら理論で勝負しろ、との意見だ。正論である。表札の話はどうしたって訳。

 バレンタイン氏はイギリスのケンブリッジ大学医学部の入試に受かっている。学費がないので入学できなかったのだ。米山さんよ、敵を見損なったねw

2025年11月8日土曜日

閑話 その五百十五

 


 二月に高取山に行ったが、大事を取って聖峰尾根をピストンして自動車道で里湯へ出た。昨日はフルコースに挑戦(?)したのだ、えっへん。何故威張るかと言うと、不安なのにやったって事で、情けない事この上ないです。

 里山には違いないが、弘法山ルートと比べるとだけども、山らしさがある。上の写真でも何となくそんな感じでしょうが。

 驚いたのは己の衰えだ。階段連続の区間では一寸と段差が大きいと、やっこらしょである。筋肉にも来た。ぜーぜーはーはーだけではなく、腿にも脹脛にも負担がある。ここを一気に登っていたんだなあと感慨深かったりして。

 高取山に登り着いた時は、塔に登り着いた様な塩梅、これじゃとてもじゃないが塔には登れない。頂上でガックリしてるとおじさんが登って来て「こんにちわ」と声を掛けて休みもせずに大山方面へ下って行く。あたしゃあ呆然と見送ったですよ。何と言う強者!

  大山は色付き始めている。お子ちゃまカメラなので余り伝わらないかもね。

 

 下りで又驚いた。確かに最初は急な下りなのだが、よいよいもたもたと下るしかないのだ。五年位前(七年かな?)には両手をポケットに突っ込んで、さっさと下れたのになあ。今やそんんな真似したらもんどり打って転がり落ちるだろう。喜寿は伊達じゃないんです。

 それでも何とか頑張ったですよ。Yと歩いた時は十二時には里湯に着くとの目的があって、残念乍ら一度も達成されなかったが、その目的だけは守りたかった訳です。

 やっと弘法山ルートの合流点に着いたが、未だ先がある。今迄は随分楽をして来たのだ。だもんで、衰えたんですなあ。当然の理屈だが、身をもって思い知ったのだ。

 途中で一寸と躓いた。前なら「おっと」で済んだのだが、前かがみで両手を広げ「うっひゃー!」状態である。


 

 情けない話を吾妻山の黄葉の写真で締めました。

2025年11月4日火曜日

閑話番外 その百八十四

 


 本文で触れたと思うが、勘七沢のF2を登るのに登山靴だったので大変苦労した。沢登りは草鞋(わらじ)だと気付き(おいおい、遅いよ)それから草鞋になった。当時は登山道具屋で草鞋を売っていたんです。

 処が、足袋を履いて草鞋は沢では無敵だが、登山道で下る時には今一、それに一回で消耗するので使い捨て。どうもなあ、って訳で地下足袋に変えた。苔が付いた岩では滑るので、フェルト製の草鞋(?)を地下足袋に付ける様にした。これが一番ピッタリ来た。

 滝でも滑る心配はない。詰めのガレや稜線に出ればフェルトを外して快適に地下足袋で歩く。最高じゃんかさあ

 じゃあ、沢登りじゃなくても地下足袋で良いんでねえの? と言う経緯で地下足袋派になったのは、四十才前だったかと思う。最初の頃は足底が痛かったが段々慣れた。地下足袋もとび職用の底の薄い物から、山仕事用の厚めの物に変えて快適になった。

 丹沢は勿論、その他の低山から中級山岳迄地下足袋だった。何となくの優越感があったのは事実である。俺、かっこ良いだろうって事で、当時は爺さんじゃなく人並よりは歩けたもんで、ここは一つ大目に見てやっておくんなましよ。

 既述だが、中級以上で地下足袋は二回だけだ。初冬の天狗岳と木曽駒から将棋頭の縦走。縦走の時は馬の背で岩に擦れて地下足袋に穴があいた。岩山で地下足袋は消耗するものだと知った。加藤文太郎は凄いなあ。キスリングを背に、地下足袋でアルプスを風の様に歩いたのは伝説になっている。あたしゃあヨタヨタだから、さぞや地下足袋が泣いていただろう。

 地下足袋と別れた経緯も既述だろう。さっそうと登るから地下足袋姿がかっこ良い。それが無理になったら、みっともないだけ。

 かっこ良いとか悪いとか、あたしに似合わない事を書き散らかして失礼すますたです。

2025年11月1日土曜日

閑話 その五百十四

 


 権現山から弘法山間は公園なので、上の立派な道である。へへへ、又もや弘法山です。

 権現山への登りで五人パーティの後ろに付いた。ラストの女性が「先に行かれますか」と聞くので「結構です」と答え、ついて行った。結構良いピッチだ。それでもたまに詰まるので、あとから来た女性二人連れと単独男性が後ろに付いた。その時点で道を譲ってくれた。あとはぐんぐん引き離すだけだ。


 

 それがですよ、上の写真の弘法山登りに掛かった時に前を行く細身で背の高い男性、直ぐ抜くかと思っていたが差が縮まらない。弘法山で詰まらない写真を撮ったのが下のです。


 

 それから彼の後を追うのだが、追い付かない。途中であたしの歳位の男性がドングリを拾っている。そこらじゅうドングリだらけなのだ。その彼曰く「ドングリがあるから熊は来てないな、熊が怖くてさ」。「来てないね」と答え男性を追う。あたしは弘法山ルートで、トレイル以外の人に抜かれた事はない。若者でものんびりと里山を楽しんでいるからだ。だから男性にも負ける訳には行かない。

 バカですなあ、自分で呆れる。喜寿の爺さんが何を気負っているんだろう。で、無理して頑張っても差は開いて行くばかりで、左足は痛くなるし疲れが回ってゼーゼーヨロヨロ、吾妻山手前で諦めた。こりゃあ勝てない。

 すると彼は吾妻山のベンチに座った。ん、この隙に勝てるぞ。吾妻神社に挨拶して急いで下る。改めてバカです。勝つも負けるもないじゃないか。山歩きの基本が分かってないとしか思えない。初歩からやり直せ!

 里山なもんで、つい街中と同じ感覚になっちまったですよ、それも若い頃のです。里道になったが油断は無用、力を抜けば抜き返される。里湯に着いて表のベンチでリュックを下すと、彼が抜いて里湯に入って行く。良かった、ギリギリ抜かれなかった。四十才位の男性だ、強い盛りである。独り相撲のバカ爺い丸出しのアホ話でしたw