2025年9月29日月曜日

閑話 その五百九

 

 六月末に大山に登ったきりで、里山すら出掛けなかった。暑いのと、八月は里湯が休業になるのでね。里湯がなければ山に行かない? 山って程じゃないけどそうなんです、だらしのない奴だと笑ってやって下さい。

 やっと今月二十四日に弘法山から里湯を歩きました。暑さ寒さも彼岸迄、多少だけど秋の気配のある里山だった。例に依って情けなくもはーはーぜーぜー言って権現山、久し振りに展望台に登った。何パーティかいて賑わっている。秋っぽい高い雲も見えた。

  

皆さん日陰にいたけど、日向(ひなた。分かってますよね、失礼)を弘法山に向かう二人連れが行く。どうです、結構広い頂上でしょうが。


 

 あたしも弘法山へ向かうと、所々に彼岸花が咲いている。ここでは初めて見た。あたしのこった、今迄気付かなかっただけかもね。


 

 権現山へ登っていると、そうねえ、八十歳位かな、男性がゆっくりゆっくり登って行く。偉い、と思った。自分のペースで行ける所を行く。心身共に健康であると言う事だ。遭難騒ぎも起こさないだろう。明日のあたしの姿に思えたですよ。

 弘法山を過ぎるとポツポツと擦れ違う。殆どが中高年パーティだ。たまに子供連れが来る。若い人も稀にやって来る。何度も書くが、皆さん綺麗なハイキングスタイルである。あたしが様なボロTシャツ姿なんていない。どうせ良いのさ、塔に登れるかさえ怪しい、実にだらしない爺さんなんだからねw

 このコースは初っ端の登りが(権現山迄)キツいだけで、あとはダラダラコースである。従ってスタコラ歩ける。前は下りは小走りに下ったが、スベリ症にはとても悪いと実感して、今は急いで下る位にしている。腰に小さな衝撃でも受け続けるのはNGなのだ。

 それでも翌日の朝は痛み(痺れ)が強かった。流石に筋肉痛はない。あったら終わりってこってすw

2025年9月26日金曜日

休題 その五百九十五

 

 今年も練馬混声合唱団のコンサートがあった。二曲目が「蔵王」なので妻に声を掛けたら、行くとの事で二年連続で夫婦で出掛けた。

 並んで入ると、次から次へと人が来る。去年と同じく妻は「こんなに人が入るなんて凄い!」と驚いている。1F2Fがほぼ満員、千三百三十二席が埋まるとは流石である。歴史のある合唱団の強味だろう。

 一曲目はシューベルトのミサ曲、これは難物だっただろう。あたしだったら絶対に音が取れない。練馬合唱団の皆さんはあたしじゃないけど、苦労したと思うよ。

 二曲目は「蔵王」、ナレーション入りだが、ナレーターが凄く巧いのだ。最初はプロの録音を流しているかと思ったが、アルトの一人が語っていた。歌も巧いが語りも巧い、天は二物を与えるもんです。

 三曲目は吉田正の曲。「いつでも夢を」とか「有楽町で逢いましょう」などの昭和曲です。去年はアンコールで、第二曲の「筑後川」の終曲「河口」を再び歌ってくれた。今年も「蔵王」の初曲か終曲を歌って欲しかったが、そうは問屋が降ろしませんでした。一寸と残念だったが、普通はそうなんだから仕方ない。

 練馬合唱団の男性は去年は十七人、今年は二十一人で四人増えている。去年は白髪か禿げ頭ばかりだったが、今年は黒い頭も三人程いる。四人増えただけだが、音のふくらみが増した。女性が三十五人なんだから男性は二十六人は欲しい。根拠は?あたしの感なんだけどダメですか? ダメに決まってるでしょう、何せ音符も読めない奴なんだからw

 あたしも歌いたいなあ、とコンサートの度に思うですよ。声は出なくたって訓練すれば何とかなるって。でも、調べて見るとどの合唱団も練習は夜。あたしが寝る時間に始まるだよお(涙)。って訳で諦めるしかないです。合唱団だって、音痴の爺さんは迷惑でしょうねw

2025年9月23日火曜日

閑話 その五百八

 

 下界は未だ暑いが九月となれば山は秋山、澄み渡った空が無暗と綺麗な時期になる。一方、毎日の様に事故の報せだ。以下に一部を。

 三日、富士山で体調不良のアメリカ人女性(63)を担送。隊員の皆さんご苦労様です。剣岳で男性(51)が10m滑落、腕と胸を骨折し救助隊員付き添いで下山。剣で落ちて助かるとは実にラッキーだ。

 四日、船窪岳で男性(40)が滑落ヘリ搬送された。白馬から入山し四泊五日の縦走最終日だった。だったら、船窪岳ではなく七倉岳での滑落だろう。長い縦走を無事に来たのに悪路で滑落、気の毒である。

 六日、台風迫る富士山でフランス人女性二人が救助される。七日には女性(40)と(20)も救助されている。富士山を高尾山だとでも思ったのか! 救助隊も命懸けだぞ!

 七日の燧ケ岳、男性(60)が濡れた木道で転倒、ヘリ搬送。八ヶ岳の旭岳の登山道で男性の遺体発見、詳細は不明。旭岳とは権現岳の直ぐ北のピーク。ご冥福を祈ります。

 九日、空木岳(うつきだけ、くどい?)で男性(61)から救助要請、転倒負傷との事。無事ヘリ搬送。又もや富士山で女性(30)が低体温症、救助隊に付き添われて下山。気になるのは二人で来たのにはぐれたと言う事。どういう話なんだ? 五竜岳下山中に男性(64)が滑落して登山道に戻れず、救助隊が登山道に引き上げ後は自力で下山した。何か救われる話だ。

 十日、常念岳から来た女性(74)が蝶ヶ岳で疲労の為動けず救助隊に小屋迄負ぶわれた。夜には富士山で歩けなくなった女性(69)が救助隊に救助された。二件共歩けなくなっているが、その位分からんのかなあ。

 十二日には別山乗越で男性(69)が滑落死している。どうして?と思うのだが、どこでも事故は起きる。もう充分でしょうか。己の体力を知って山に登らなければ、絶対にダメなんです。

2025年9月20日土曜日

閑話 その五百七


 

 ラベル”幕営”は殆ど堀山の事ばかり書いている。幕営を目的の山行なのだから仕方ないです。その堀山ですら行けなくなった今としては、結構贅沢な山行をしていたんだとすら思われて、情けない事夥しいですなあ。

 Yの現状は日常生活はこなせる、って程度。両膝が痛んで、寝ていても痛みが来ると言うのだから、相当辛い。テントを背負って大倉高原、ですら夢物語になってしまった。

 もうあのエアライズ3で、広々とゴロゴロする日はないのだ。折角Yのシェラフが羽毛になって、パッキンも楽になったのに。Yは冬の八ヶ岳に備えて、冬用の上下、目出帽、グローブも用意したのに、皆無駄になっちまった。尤もYは柴犬の散歩に使っている様だが、内心は悲しいだろう。ん、そんな事には元来拘らない男だったですなあ。

 最高に落ち着いたですよ。幕営目的でも、春山でも、一泊の変なルートや沢登りでも、春山なら雪を踏み固め、夏なら石や木の枝を払ってあのテントを張って、中に入って荷物を整理すれば極上の宿の出来上がり。何の遠慮もいらない、四十年も一緒に山や沢やガレザレを歩いて来たんだから、下手な家族以上の安心感がある。そしてテントの中、飲んで駄弁ってゴロゴロ、素晴らしきかな人生!

 去年からYの膝が始まって、去年の春山はあたし一人で狭いエアライズ1、春山は嬉しいけど、一人のテント生活は面白くない。矢張りYといたから面白いのだ。長い歳月で出来上がった阿吽の呼吸ってものがあるのだ。

 巧くしたものであたしも故障が目白押し、もうテントを背負っての登山は考えられない。いや、まともな登山すら考えられない。たまに低山を歩くのがやっとになっちまったんだから、丁度良いタイミングだったのだろう。

 方法がない訳ではない。あたしの車で戸沢出会い迄入って、そののキャンプ場で幕営をする。Yはザックを背負って町田迄来れるのかな? 無理でしょうね。

2025年9月17日水曜日

休題 その五百九十四

 

 井上尚弥がムロジョン・アフマダリエフとの四団体統一王者防衛戦に勝利した。翌十五日にウズベキスタン(多分)の放送を見た。現地語(チュルク語の方言かな)なので画面を見るばかり。緊迫感はあるものの、高度な駆け引きが続き判定勝利なので、あたしが様なド素人には良く分からない。

 アフマダリエフはオリンピックで銅と銀のメダル保持者なので、技術は凄く高い。おまけに頑丈でパンチ力も強い。前回2Rにダウンを奪われたカルデナスより二回りは強い。そして同じサウスポー、尚弥陣営はアウトボクシングに徹して「判定勝利を狙う」と宣言するに至った。KOを狙うから隙ができるのだからね。

 歴代チャンピオン達が「見事な完勝だ!」と舌を巻いていたが、あたしは「そうなんだ」と思うしかない。情けないですなあ。

 試合後の尚弥は殆ど傷もない。一方のアフマダリエフは傷だらけの顔で自国の放送に答えていた。そのアフマダリエフの感想を書くのが一番分かり易いでしょう。

 「自分のボクシングが全くできなかった。足が完全について行けなかった。彼は本当のチャンピオンだよ。私のプランは序盤からプレッシャーをかけ、彼の打ち終わりにカウンターを合わせる事だった。ネリやカルデナスがやった様に、左フックで捉えるチャンスは必ず来ると信じていた。しかし、彼のフットワークは信じられない程速く、そして滑らかだった。私が一歩踏み込もうとすると、彼はもうそこにはいない。まるで幻影を追っている様だった」。途中の”来い来い”のジェスチャーについては「あれは自分を鼓舞する為だった。心が折れそうになるのを必死に堪えていたんだ」。

 第一声が全てを物語る。「完敗だ、彼と対峙して、すぐ理解した。彼は私が想像していたボクサーとは、全く違う次元にいた」。レベルが違い過ぎるって事か。井上尚弥、どこ迄凄いんだろう。

2025年9月14日日曜日

閑話番外 その百八十一

 


 次女が白根三山を縦走したので、あたしは何回やったかと考えて見たら、まともに縦走したのは一回のみでした。これは結構驚きであった。日本一高い縦走路なのに。上の写真は借り物です。

 白根三山関連には何回か言っている。北岳ピストンが二回(もう一回あった気がするが、記憶が曖昧なので外す)。塩見岳から縦走して来て三蜂岳から間ノ岳へ、そして北岳山荘から下山。それ迄は快晴の稜線歩きだったのに山荘に着いた時にガス、依って北岳は登らなかった。その時のドタバタ騒ぎは次に(何時になる事やら)アップする本文に書いてある。そして、両股小屋から野呂川越に登って三蜂岳から間ノ岳へ、農鳥小屋伯で大門沢小屋伯で下山と言うのんびりルート。

 こんなとこですなあ。北岳で景色が見れたのは、二度目のピストンの時です。そうかあ、はっきりした記憶では北岳には二度しか立っていなかったのだ。塩見からの時は、ガスで登りもしなかったのか。

 間ノ岳は三度、農鳥岳は二度立ったのか。あたしは次女と違って、年柄しょっちゅう遠い山には行っていない。正月、ゴールデンウイーク、お盆、秋の連休、そのうちの一回か二回、稀に多くても三回だもんでね。ゴールデンウイークはほぼ上越に入っとったもんだでよお。あんまりアルプスの頂きには立っとらんだがね。

 本題の三山縦走ですよ。ガスの中農鳥小屋迄来て幕営、翌日は嬉しい事に吹き降り、一気に下山して帰京した。おお、一泊でやったんだあ、四十歳位だったかな。ね、天気に恵まれない可哀そうな男でしょう。

 間ノ岳は割と平らな頂上で、ガスに巻かれるととても困る。うっかりしてると(うっかりしてなくとも)マーカーを失う。まあ、行ってみよう、なんて思ったら危ない。戻ってマーカーを見つけるの一手である。

 白根三山、南アルプスの山は実に大きいと、しみじみ感じられる縦走路でありました。

2025年9月11日木曜日

閑話 その五百六

 


 日本で一番標高の高い稜線は、南アルプスの白根三山だ。北岳、間ノ岳、農鳥岳と3000峰を三つ越える。南の雄大さを満喫できるコースである。それを次女が六日に出発して縦走して来た。多分二度目だろう。

 初日に北岳、そして北岳山荘で幕営、翌日は大門沢小屋幕営の予定だったが、三日目の天候が悪そうなので奈良田へ一気に下山、多分そこの温泉で泊まって八日に帰って来た。

 一泊で三山縦走をやりますか。いやいや、知らぬ間に中級者の入り口に立ちました。残念なのは北岳がガスだった事。二日目もガスに覆われていたと言うから、登頂を止めて下山を選んだのかな。それでも所々景色は見えたのだから、上等だ。あたしなんざ二度もガスの北岳、三度目でやっと景色が見れたんだから。いや、四度目だったかも知れない。惚け寸前で昔の事(勿論最近の事も)すら朧ですよ。

 次女には珍しい。表銀座は雨でも、槍に着けば晴れると言うラッキーさ、今回はそうはいかなかったか。それでも頂上を一寸と下れば景色がある。下の写真だって北岳山荘が見えている。

 

 稜線も見渡せる。


 

 これは多分中白根だろう。何せ北岳はガス

に包まれて見えなかったそうだから。


 

 あたしは何にも見えないって山は随分あったが、次女にはない。半端にしろ景色は現れる。あたしが”晴れ女”と称するのは無理もない。長女は典型的な”雨女”なんだけどねw

 北岳山荘から奈良田は地図上十時間二十分、若さですなあ。あたしなら大門沢小屋で泊まる、誰が何ったって泊まる。歩けないもん。その前に、もう南には行けんです。

 北岳にはいかず、間ノ岳から下った時は、濃鳥小屋伯、そして大門沢小屋伯。何じゃそりゃあー!と驚かんで下さい。もう六十を越えていたんで無理はできんかったですよ。たっぷり広河内岳(2895m)で時間が流れるに任せたです。歳なりの山があるんですよ。