2024年12月30日月曜日

閑話 その四百七十二

 


 いやはや、又もや勘違いでお恥ずかしい。次女が丹沢主稜をやって、三日後の夜行で冬山へ発つ、と思い込んでいたのだが違った。豪雪の為に冬山は中止したのだ。

 夜行一泊で3000峰の千丈岳をやれる様になったのは東尾根に新道ができたからで、ある程度迄車で登って取りつくからだ。雪の為その林道を車で登れなくなったと言う事だろう。それで主稜に行ったのかと、合点がいった。

 塔から檜洞丸を(もしくはその逆)縦走するのが主稜縦走とすると、あたしは三回(!)しかやっていない。半世紀も丹沢に焦がれているのに、あのゴールデンコースを三回のみとは自分でも驚く。実に変なとこばかり歩いていたのですな。まあ、マニアにはありがちな事でしょう。

 その代わり蛭の小屋には泊まった。二十回近くになるだろうか。Rさんの時代が多い。その頃のいかにも山小屋らしい蛭ヶ岳山荘については散々書いた。新しい小屋になっても五、六回は泊まっている。今一つだなあとも、何度も書いた。

 主脈縦走が昔の丹沢縦走の花形だった。塔から焼山迄のルートである。夜行で塔に登って、その日のうちに帰るにはピッタリのコースだったからだ。日曜しか休みがなくて土曜は半ドン、昼迄仕事をしていた時代だ。

 その主脈をあたしは二回(!)しかやっていない。焼山迄行かず、東野に降りてしまう(又は東野から登る)からだ。だって、だらだらと長いだけなんだもん。

 今、主脈をやる人は極端に減った。バスの便がひどく悪くなったので。主脈をやる人がいなくなったからか? どっちが先か分らんが、週休二日になって主稜もできる様になったのでそっちに移ってしまった。蛭から檜洞丸、キツいが爽快で達成感が主脈の比ではないのだ。植林もないしね。時代と共に人気ルーも変化します。

2024年12月27日金曜日

閑話 その四百七十一

 


 いやはや間抜けったらありゃあしねえ。前々章で次女が二十一日、二十二日で千丈岳へ登ると書いたが、二十八日、二十九日の間違い、一週間の勘違いだった。

 依って二十七日の夜行で冬山へ発とうと言うのに、次女は二十三日、二十四日で丹沢主稜を歩いたのだ。昔のあたしだってそんな無理な山登りはしない。冬山の前は緊張して体調を整えた。上の写真は蛭ヶ岳の夜景。スマホで撮るんだから横にして撮れば良いのに。これじゃあ無意味な部分が多過ぎでしょう。

 主稜をやるだけで偉く大変だ、と言うのは今のあたしだからか。三十代も末の頃、ユーシンから同角ノ頭経由で檜洞丸に登って、余りの天気の良さに塔迄歩いてユーシンへ下ると、急遽予定変更、日帰りで主稜をやった事があった。十月の快晴の檜洞丸頂上、そんな気持ちになるのも分かるでしょう?

 ところがですよ、食料はパンとチョコレート一枚、丹沢山の登りでガス欠になって散々な思いをした。ユーシン起点だから主稜と言っても八掛けかな。でも檜洞丸への登りと塔からの下りは大分急である。八半掛けで良いか。詳しくはラベル「檜洞丸」で、え、興味ないって? ああ、そうかい。

 丹沢縦走の中でも一番アルバイトのある主稜をやって、三日後には夜行で冬山へ発つ。何か悲しい事でもあったんだろうか。それともあたしが歳を取ったのか。間違いなく歳は取ったが、前述の通り若い頃のあたしでも考えられない。冬山のハードルが低くなった、うん、それだ。必死の思いで冬山へ向かうってえのが最早ないのだろう。装備はべら棒に良くなったし、交通も便利になった。そして入山者も激増した。

 山の天気で見たら、入山日は雪50%、登頂日は晴れ、何とラッキーな次女。入山日は雪でも何でも構わない。登頂日が肝心なのだ。入山日快晴、登頂日ガスの多いあたしとは、何たる違いでしょう。

2024年12月24日火曜日

閑話番外 その百七十

 


 平成二十五年七月だから、もう十年半も前になるのかあ、歳を取る訳です。蝶から常念を歩いた時の事。詳しくはラベル「山の報告  蝶・常念」に詳しい。興味のある方はそちらをどうぞ。え、興味ないって? あ、そう。

 このラベルは「あ、バスが」だが、その時は「あ、列車が」だった。一ノ沢へタクシーを呼んで駅入口手前の踏切でカーンカーンと遮断機が下り、松本行きの列車が通り過ぎて行った。少なくとも一時間は待つ訳だ、とても嬉しい(涙)。大糸線は本数が少ないので。そして駅前には何もない。喫茶店でもあれば良いのだが、狸かキツネが葉っぱを持って来るだけだろうから、勿論ありゃあしない。唯待つだけのあたしでした。Yなら苦にもしない、待つのが平気なのは羨ましい限りだ。

 前に「あ、バスが」のラベルで書いたのは三ツ峰の下りの話だったが、それより大分前の三ツ峰の下りでもバスを一時間以上待つ事があった。その頃はバス停近くに飲み屋(?)があって、一寸としたつまみで熱燗を飲んで時間を潰せた。ん、日帰りの三ツ峰で、バカップルに会った時だ。あたしは達者に歩けるは飲み屋はあるはで、良い時代でした。

 もっともっと大昔、檜洞丸から犬越路を下って西丹沢(当時は名前が違った筈だ)へ下ったがバスがない。中川温泉止まりのバスが多かったのだ。仕方ない、歩きました。中川温泉迄は一時間も歩けば良いので、当時のあたしには何でもない。尤も中川温泉でも結構待たされたんだけどね。

 その逆で、中川温泉から歩き始めた事も何度かあった。今は随分便利になったものだ。西丹沢バス停起点の山歩きは、檜洞丸、畔ヶ丸、大室山と盛りだくさん、おまけに夏はモーターキャンプ場だらけだ。バスを走らす甲斐もあるってもんでしょう。

 その代わり、道志川方面のバスが殆ど消えて裏丹沢は不便になった。車がなければ無理な山域になってしまったです。